于右任作品の買取について

藝品館では于右任作品の買取査定を行っております。
于右任の書掛軸・扁額等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。
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于右任という人物

于右任 (うゆうじん 1879-1964) は中国清代、三原(陜西省)の政治家であり書家です。
初名を伯循、字を右任、号を神州旧主、太平老人。
光緒29年(1903)に挙人に及第するものの、自作詩集が革命を鼓舞するものと非難され、上海に亡命します。
その後来日した于右任は、孫文の中国革命同盟会に加わりました。 帰国後は多数の革命紙を創刊し、革命後は南京臨時政府にて交通部次長に就き、その後は靖国軍総司令として陜西へ北伐。国民政府の樹立後は党の中央執行委員会常務委員、軍事委員会常務役員などを務めた他、監察院院長にも就任しました。
1949年に台湾へ移った後も、于右任は監察院の中心人物を担い、活躍しました。

于右任の書

于右任は政治家としてだけでなく、書人としての顔も持っていました。
その書ははじめ趙孟頫から、そして中国南北朝時代・北魏代に彫られた北朝の金石文「北碑」を熱心に学びました。このときの北碑への傾倒を、右任は後に、「朝に臨す石門銘、墓に写す二十品」と自らうたっています。

于右任の書作の本質は、ことに草書に表れています。国民に草書を普及すべく、1932年に上海で標準草書社を立ち上げ、指南書『標準草書』を出版しました。自らの草書もこの指南書の理念に倣り、古典草法を拠り所とした読みやすく書きやすい書風を究めました。
字体は非常に簡素で、すばやく写す勢いを大切にしています。淡々とした書風と、余白のバランスが、とても趣深い作風です。