祝允明作品の買取について

藝品館では祝允明作品の買取査定を行っております。
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祝允明という人物

祝允明 (しゅくいんめい 1460-1526) は、中国明代、長洲(江蘇省蘇州)生まれの文人です。
字を希哲、号を枝山、枝指生。
右手の指が一本多かったことから、枝山と号しました。
弘治5年(1492)の挙人で、広東省興寧県の知事や、応天府(南京)の地方官を務めました。世俗を避け、酒好きで知られ、その奔放な精神を語る、多くの逸話がのこされています。
祝允明が生きた明朝中期の蘇州は、絹織物などの手工業や商業が発展し、経済的に豊かになり、多くの文人が活躍した時代でした。詩文を能くした祝允明もまた、名声を博し、唐寅文徴明、徐禎卿(じょていけい)とともに「呉中の四才子」と称されました。

祝允明の書

祝允明は、代々官僚を輩出してきた名家に生まれ、幼いころからその頭角を現したといいます。祝允明は、行書を母の父である徐有貞に、楷書を妻の父である李応禎に学びました。
明代の学者・王世貞によると、祝允明は、楷書は鍾繇、王羲之、王献之、智永、虞世南、欧陽詢、褚遂良、趙孟頫を。行書は王献之、智永、褚遂良、懐素、張旭、李邕、蘇軾、黄庭堅、米芾を師として学んだと伝えられています。

若年の頃は晋唐の様々な分野の学問を吸収し、殊に臨模を能くしました。後年になると、行・草作品を多く描きました。
晩年の狂草の大作では、頓挫を多く用い、筆圧と運筆の速度を意のままに変化させる筆法や、連綿をひかえ字間行間を絶妙に調整する章法など、祝允明独自の作風を築き上げました。狂草であっても、不思議と均整と調和を感じさせる作風です。