査昇作品の買取について

藝品館では査昇作品の買取査定を行っております。
査昇の書画・掛軸・扇面等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。
経験豊富なスタッフや中国美術専門家が責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

査昇という人物

査昇 (查升/さしょう 1650-1707) は清代中期の書法家、蔵書家です。
浙江省海寧市袁花県生まれ。字は仲韋、号は声山。

査昇の家は江南地方でも有数の学問に秀でた一族で、多くの官僚や学者を輩出していました。
1688年、康熙帝の時代に査昇もまた33歳の若さで科挙に合格し進士となります。
勅書の草案の製作や、皇帝のために書籍の講義などを行う翰林院庶吉士に選任され、書籍の編纂作業を行う編修という役職を賜りました。康熙帝は清朝の繁栄を築いた聡明な皇帝で必ず学問に秀でた大臣を己の顧問としていため、昇進する機会も少なくありませんでした。

査昇は文学の侍従が詰める南書房を長く勤め、そこで明末の美術評論家で名書家として知られる董其昌の神髄を体得したと言われています。
その書は秀逸で、特に小楷書が最も優れ精妙、同時代に活躍した楊賓は「声山の線は董其昌に似て、また書から漂う雰囲気も董其昌に似ている」と評しています。

作詩も得意でありました。また査昇の仕事は非常に慎重で、しかも迅速なので大変重宝がられました。
人柄は品行方正で、人を貴賤で分けず、皆友のように扱いました。そのため査昇の書を求める人々が非常に多く、彼は蝋燭の炎を照らしながら一晩中書を彼らのために揮毫し続けていたと言われています。
また蔵書家とて知られ、家には書画が非常に多く、書庫を『澹遠堂』と名付けていました。当時の人は査昇の書、査慎行の詩、朱白恒の画を、同じ郷里出身なので「海寧の三絶」として賞賛しました。
1707年、没。著書に澹遠堂集があります。

査昇の書

康熙帝は査昇の楷書をたびたび絶賛し、「他の人の書は俗気を感じるが、査昇の書だけが俗気を脱している」と評価しています。
康熙帝は満州族でありながら唐の太宗と並ぶ名君とされ、政治のみならず文化事業も積極的に行っており、漢民族の文化にも非常な理解を示していました。康熙帝は褒美として書、画、筆、硯台ばかりか、査昇に紫禁城の西側にある西華門の一室を与え、さらに自ら揮毫した『澹遠』という堂名をその部屋に掲げることさえ許しました。