建仁寺と京都の文化・芸術

曹洞宗の開祖として知られる栄西禅師により、源頼家に保護を受けつつ1202年に建立されたのが京都五山の1つ建仁寺です。
創建当初は天台・真言・禅の三宗兼学の道場でしたが、10世円爾(聖一国師)・11世蘭溪道隆の時代ののちに禅寺となり、1386年には京都五山の第3位に、現在は臨済宗建仁寺派の大本山となっています。
詩文や芸術に長けた禅僧たちが建仁寺から数多く輩出され、五山文学と呼ばれる文芸のムーブメントを創りました。中世以降、建仁寺は京都における文化の中心地の1つだったのです。

栄西禅師の死後、元で学んだ龍山徳見を中心とする栄西の弟子たちによってこの建仁寺のなかに造られた栄西禅師の墓所を知足院といいました。のちに知足院が火災で消失し、その跡に再建されたのが現在も建仁寺内にある塔頭寺院・両足院です。
両足院には三尊石組や須弥山といった力強い立石を特徴とする枯山水があります。また、池の北側には織田有楽斎の茶室であった如庵を模倣した茶室水月亭が残されています。
さらに、安土桃山時代の画家・長谷川等伯によって描かれた「水辺童子図」「竹林七賢図屏風」といった日本美術を代表する絵画作品が所蔵されています。このように両足院は、京都における貴重な文化的・芸術的遺産を受け継ぐ寺院となっています。

その建仁寺塔頭寺院・両足院には、江戸時代に京都で活躍した画家・伊藤若冲(1716〜1800)の作品「雪梅雄鶏図」があります。
この「雪梅雄鶏図」の制作時期については『丹青不知労将至』印があることを根拠として、最高傑作とされる「動植栽絵」の制作に入る直前であったと考えられています。
つまり、家業から離れて絵画に没頭し、生涯最大の作品を構想していた、絵師としてのモチベーションが最も高かった時期の若冲によって描かれたものであるといえます。
そのような意味で、建仁寺の両足院に所蔵されている「雪梅雄鶏図」は若冲の絵師としての勢いを感じさせる作品であり、「動植栽絵」制作直前における若冲の優れた画技を垣間見ることができます。

残念ながら両足院は普段は非公開となっていて、特別拝観の時期を除いて入ることができません。また、「雪梅雄鶏図」や長谷川等伯の「水辺童子図」は文化財特別公開期間に限っての観覧となっています。

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