湖西市の骨董品買取・古美術品の鑑定査定について
静岡県湖西市の茶道具や掛け軸など骨董品買取は藝品館へおまかせ下さい。
湖西市にて骨董品、茶道具や茶碗、水指、掛け軸などの買取と査定鑑定を行っています。湖西市は浜松湖の西に位置し、中近世には地震による被害を受けながらも今切の渡しや宿場の移転で東海道を繋ぎ続けました。このような歴史のある地域ではしばしば古美術品、古文書など貴重な品が見つかることがあります。
古代から近代までの幅広い美術品の価値を正確に評価することには大変なデータベースや資料が必要となり、博物館や学者などとの連携も必要となってきます。藝品館では数々の専門家とチーム一丸となって連携し、納得のいく評価、鑑定をすることができます。
当館は湖西市全域で出張査定無料です。お取引が成立しなかった場合に、出張査定・鑑定料などの費用を請求することはございませんのでご安心下さい。また他店で鑑定の難しいものでも対応可能です。
古い物品や由来のありそうな骨董品を見つけられた場合、ご相談からでも受け付けておりますので、ぜひお気軽にご連絡ください。
また静岡県のその他各地域でも出張買取対応しております。
骨董品のよくあるご相談
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使わなくなった茶道具や骨董品を売りたいが、どのくらいの価値のものなのか?
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作者やどのようなものかもわからない骨董品だが、価値はあるものだろうか?
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蔵に置いてある埃を被った骨董品を片付けたいが、売れるものなのだろうか?
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汚れていたり破損していたりする状態の悪い骨董品だが、買取できるのだろうか?
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先祖からの言い伝えの大切な骨董品だが、適切に買取してもらえるのだろうか?
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古そうなものが遺品整理から出てきたが、買取できる価値のあるものだろうか?
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実家に美術品や骨董品が多数あり、相続の評価が必要だが可能なのだろうか?
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蔵を整理していたら知らなかった刀が出てきたが、どうすればいいのだろうか?
どのようなご相談でも、まずは気軽にお問い合わせください。藝品館は骨董品のスペシャリストです。
専門家としてのあらゆる観点、そして経験のみならず歴史的に蓄積されたデータから、お客様の質問にご納得のいただける根拠を提示し、骨董品の適切な価値評価をすることが可能です。
骨董品の価値について
作品の時代背景や作家に関する詳細な鑑定を行い、お持ちの骨董品が持つ金銭的価値だけでなく、歴史的な価値も精査します。静岡ゆかりの作家の作品や、湖西市での茶会に用いられた茶道具など、地域に根ざした骨董品の鑑定買取に特化しております。
これらの品々は、湖西市の歴史や文化を伝える大切な財産であり、藝品館ではそれらを適正な価格で買取し、新たな所有者に繋げる役割を果たします。
古い茶道具の買取
日本の伝統文化として、茶道は多くの人々に愛されています。それに伴い、古い茶道具も大変骨董的価値のある美術品です。茶道具では骨董品の中でも特に、先程述べた通り、伝来の経緯が重要視され、それを証明する箱書や、極書など付属品も多く付いていたり、これが鑑定時の評価額に影響を与えるものでもあります。
特に、歴史的背景や有名大名の所持などの来歴が明確なものは高額で取引されることも多々あります。藝品館では、それらの鑑定や伝来の追跡が難解な茶道具や古美術品であっても専門家が丁寧に査定いたします。
掛け軸の査定
掛け軸は、詳細に説明せず、値段だけ付ける業者が多く見られますが、藝品館では、掛け軸の作家、時代背景など、細部にわたって説明し、その価値を正確に評価します。
掛け軸一つ一つに秘められた物語や先代の収集の思いを見出し、所有者様に家にある経緯や意味を理解していただけるよう努めます。その後、掛け軸や骨董品を売却するのか、保持するのかの判断をされる際に一助となると思います。
実家の蔵整理の必要性
実家の蔵整理は、家族の歴史を振り返る貴重な機会であり、時には忘れ去られていた価値ある骨董品が見つかることもあります。私たちは、これらの品々が適切に評価され、適切な手当てを受けるよう、誠心誠意鑑定買取いたします。
湖西市地元ゆかりの作家や歴史人物にまつわる骨董品は、特これらの品々を通じて湖西市の文化や歴史を未来に伝えていくもとにもなりますので、買取だけではなく、歴史資料としての活用も踏まえてご提案させていただきます。
相続時の骨董品の査定及び鑑定
相続に伴い、先代から引き継がれた骨董品の価値を知りたいというご家族が多くいらっしゃいます。藝品館では、相続品としての正確な価値を見極めるため、熟練の鑑定士がその価値を評価します。
美術品や骨董品の鑑定は、専門的な知識と経験が必要不可欠です。当館の鑑定士は、作家の背景や作品が作られた時代、保管状態など、様々な角度から総合的に評価し、その価値を明確にします。また静岡県内の地元でも判断の難しいような書画骨董品でも対応可能です。
公的機関や法人様、弁護士様・税理士様など士業の方からの相続等の美術品評価査定も承っております。
骨董品の買取における藝品館の強み
創業六十年の老舗だからできる販売網で買取価格に強みがあります。
骨董品は一点物であるため、ご所望するお客様の多さで価格が大きく変わります。老舗だからこそ多様なお客様の、様々なご要望をお受けしているからこそできる高価買取です。
必ず目利きが伺います。
専門の目利き鑑定士が一点一点丁寧に鑑定し査定買取いたします。骨董品は対象範囲も広く専門店でないとできない買取価格及び鑑定法がたくさんあります。当店は同業他店からも鑑定依頼を多数受けており専門的なご説明や対応も可能です。またご依頼主のご希望に沿った売却方法を精査し一番良い形を提案します。
当館だけの特別な売買データの蓄積や、江戸時代からの絶版となっている鑑定用専門書籍や来歴調査を行うことにより他店にはできない付加価値をつけ、より最良の買取価格及び換金可能額を提案致します。
相続時の査定でも根拠ある価格資料のもと査定見積書を作成可能です。
湖西市の歴史と古美術品・骨董品
湖西市は浜名湖の西岸にあり、2010年に新居町を編入合併し成立しています。
古代の湖西
湖西市では5世紀末頃から須恵器の生産が始まり、近隣で採取される粘土と湧水によって窯が盛んとなり、7世紀から8世紀にかけてピークを迎えました。杯や椀の他「フラスコ瓶」という首が長く底の丸い壺を生産しました。よく輸出され関東や東北地方、最北端は青森県の八戸にまで及ぶ、太平洋側の墳墓から出土しています。
中世の湖西
陶器
平安時代に入っても須恵器が焼かれ続けましたが、近隣愛知県の二川窯の成立とともに衰退しました。しかし12世紀には椀や皿、瓶など山茶碗の生産に切り替え、京都の寺院用の瓦なども焼きました。この12世紀の中世湖西焼は愛知県にある渥美焼と同時期に現れ、土を同じくし、陶器の形も同じなため、判別が難しく「渥美・湖西窯産」とされることがあります。
その後鎌倉時代にも山茶碗を焼きますが、14世紀には衰退し廃絶となりました。古代から中世にかけて800年間の操業で窯は1000基を数えることとなりました。
宇津山城
15世紀前半ごろに駿河から遠州に侵攻するため今川氏の家臣、長池氏が宇津山城を築城したといいます。小原氏、朝比奈氏と城主が変わりますが、1560年桶狭間の戦いで今川氏の頭領である今川義元が討たれると、徳川氏が侵攻を始めました。今川氏の家臣であった朝比奈氏は徳川と戦うことを決め、爆薬をもってしてまで徳川氏に臨みましたが落城、宇津山城は徳川氏のものとなりました。
今切の渡し
1498年に明応地震が発生し、遠州の海岸像は津波に襲われました。浜名湖と海を隔てていた土も決壊し、浜名湖には海水が流れ込み塩水湖となりました。決壊した箇所を渡るため今切の渡しの舟渡場が置かれるようになりました。今切というのは今、切れた(決壊した)と言う意味です。
近世の湖西
江戸時代に徳川幕府は東海道の整備を行い、湖西にも新居宿と白須賀宿が設置されました。
新居宿
新居宿は元々海岸沿いにあって、荒井(今切)の関所および宿場町を形成して、浜名湖東の舞坂宿との間で今切の渡しを行っていました。しかし1699年に高潮が発生し、内陸に移動しました。
また1707年には宝永地震が起き、120件もの家々が流される被害が発生して、新居関所などは「関所跡かたなし」と記録されるほどの被害を受けました。これにより宿場町は内陸に移転し、今切の渡しの合間が1km以上広がるなど不便になりました。旅をする人々は東海道を回避し、浜名湖の北を通る本坂通(姫街道)を通ってしまい、東海道は復興もままならず、本坂道で回避される6つの宿場町は幕府に東海道の使用を嘆願しました。
その後も1854年に安政東海地震が起き関所が大破することになります。1855年から5年かけて改築された関所が現存しています。明治期以降も小学校の校舎や役場として使用され続け多くの部分を失いましたが、面番所は残り、東海道の関所としては唯一の遺存例として、関所跡と合わせて国の特別史跡に指定されています。併設される新居関所資料館(湖西市新居町新居1227−5)では関所の生い立ちや、旅道具、新居宿の資料などが展示されています。
紀州藩の御用宿であった新居宿最大規模の旅籠紀伊国屋は明治始めの建築ですが、随所に江戸の建築様式を残しているとして市指定の文化財となっています。昭和の戦後まで250年間ものあいだ宿として使用されていましたが、現在は内部を公開し新居宿旅籠紀伊国屋資料館(湖西市新居町新居1280−1)として開館しています。
歌川広重の 東海道五十三次・荒井 では、舞坂宿から画面奥にある新居宿に向かう舟を描かれています。新居宿には関所が見え、その奥の山々は箱根の峠です。画面中央の幕を張り巡らせ吹き流しを建てた御座船の中には大名がいます。手前の大名行列の中間は、約4kmののんびりした旅も終わるな、といった表情をしています。

歌川広重「東海道五十三次・荒井 渡舟之図」
白須賀宿
白須賀宿もまた本来は海沿いにありましたが、1707年の宝永地震で被害を受けたため、潮見坂と呼ばれる坂の上の台地に移転しました。明治の蒸気機関車の運行にあたっては、潮見坂の急勾配が不向きだったため浜名湖側から回ることとなり、今でも街道沿いには一部江戸時代の面影を残す古い町並みを留めています。
湖西市白須賀900のおんやど白須賀では白須賀宿に関する資料、移転前の白須賀宿の発掘調査によって明らかとなった人々の生活の様子や、浮世絵、和歌、道中記などが展示されています。
歌川広重の 東海道五十三次之内 白須賀 では、白須賀宿を出た所の潮見坂を描いています。京都方面から出て江戸に向かう場合、潮見坂のところで初めて海が見えます。
広々とした遠州灘を描く遠景には夕暮れが迫り、水平線に直線だけで描かれた帆船がデザイン的です。前方に大きく伸びる松と、急な潮見坂を粛々と下る大名行列を描くことで、絵に立体感を与えています。

歌川広重「東東海道五十三次之内 白須賀 汐見阪図」
近代の湖西
明治時代以降、新居の北西にある鷲津では蒸気機関車が通り街が発展し、さらなる発展を願って当時流行していた創作民謡を作るということとなり、新進気鋭の作家、北原白秋に目をつけました。
白秋は鷲津に来訪、浜名湖の湖岸に滞在し創作にふけりました。その間鷲津にある本興寺を気に入り、のちに発表した 夢殿 で短歌49首のうち33首はこの寺院を詠んだものになりました。創作民謡の方も成功し、1933年の全国発表大会で白秋の作詞した 鷲津節 は佐渡おけさと共に優勝しています。
湖西市の寺院
本興寺
湖西市壱貫地429の常霊山本興寺は1383年の開基で、室町時代は遠州に勢力を持つ今川氏など多くの勢力からの庇護を受け発展しましたが、特に江戸時代には、徳川家康から10万石の格式と徳川氏の紋である、葵の紋の使用を許されました。これは第10世、日梅上人の姉が、家康の側室であったことからです。
室町時代築の本堂は茅葺屋根で荘厳な佇まいをしていて、国の重要文化財に指定されています。江戸時代初期に三河の吉田城から移築された奥書院や山門、大書院なども残されています。また本堂の近くには北原白秋の 水の音 ただにひとつぞ 聞こえける そのほかはなにも 申すことなし
の歌碑が建っています。
庭園は桃山時代から江戸時代初期に造られた小堀遠州の作とされ、裏山の山林を借景し、大池と鋭い岩を配置して見事な風景を作っています。
本興寺には平安時代の10巻の法華経が残っています。国の重要文化財として 紺紙金字法華経〈(開結共)/〉 と登録されています。巻頭に金で見返し絵を描き、金字の書は菅原道真が書写したものという伝説が残ります。
同じく平安時代作とされる8巻の法華経 八巻本紺紙金字法華経 も所持していて、こちらは第8巻の見返し絵は欠損するものの、他の7巻は同平安時代に制作された京都延暦寺の 紺紙銀字法華経 と主題と構成が一致します。
絹本著色法華経曼荼羅図 4幅は諸寺を巡る曼荼羅の形式の絵画で、鎌倉時代の作とされています。
上記3点の美術品は国の重要文化財となっています。
応賀寺
湖西市新居町中之郷68−1の鏡光山応賀寺は聖武天皇の勅願寺として行基が開基したと伝わる寺院です。本堂から宝物館内の宝物はほぼ全て文化財です。本尊の 阿弥陀如来坐像 四天王像、は特に貴重なものとなります。
毘沙門天像の胎内からは1270年の記述のある 長者妙相夢想造立記 というこの寺院の創立説話の書かれた古文書が発見されています。また源頼朝の所持物であった扇や団扇も市指定の文化財として残されています。
妙立寺
湖西市吉美2745の延兼山妙立寺は戦国時代、徳川氏が朝比奈氏の宇津山城を攻める時、本陣とした寺です。その後徳川家康から76石の領地が寄進され、代々徳川将軍家からも安堵の朱印状が与えられています。
平安時代末1138年に制作された国の重要文化財 紺紙金字法華経〈(開結共)/〉 を所持しています。奥州藤原氏の藤原基衡が父である清衡の供養のために制作させたと伝わります。
湖西生まれの国学者
江戸時代後期には2人の国学者が輩出されました。夏目甕麿とその子加納諸平です。
甕麿は白須賀宿の酒造屋で生まれ、学問を好み儒学者で国学者であった内山真龍の門弟となり、その後本居宣長の弟子となりました。国学の始まりの地である遠州に関する本がないと嘆き、地域の語学的な調査を行い 駿河国号考 を出版しました。その後も日記や写生図の発行を続けました。
加納諸平は紀伊の医師、加納家の養子となり、本居宣長の養子で国学者の本居大平に師事しました。紀州藩で 紀伊続風土記 紀伊国名所図会 の編纂をしました。また歌人でもあり「柿園派」をたてました。企画として江戸時代の地方の名歌を集めた 類題和歌鰒玉集 などを発行し、地方の歌壇の隆盛に務めました。
湖西市は、古代からの歴史も古く荘厳な寺院も抱え、歴史と文化の融合した市となっています。江戸時代には2つの宿場町が設置され、苦労がありながらも人々が多く往来しました。そのような歴史ある土地では時折、古美術品や古文書、古筆などの貴重な骨董品が発見されることがあります。
なにか古いものを見つけられた場合、整理、鑑定、査定のご相談から承っておりますので、ぜひご連絡ください。
湖西市の買取品目例
- 中国美術・中国骨董・中国絵画
- 朝鮮美術・高麗美術・李朝美術
- 茶道具
- 煎茶道具
- 陶磁器
- 掛軸
- 屏風
- 絵画
- 刀剣・日本刀
- 武具・甲冑・鎧兜
- 仏像
- 鉄瓶
- 印材
- 浮世絵
- 蒔絵
- 硯
- 印籠
- 根付
- 古銭
- 切手
- 珊瑚
- 銀製品
など、骨董品・美術品全般の買取をいたしております。詳細な品目例は買取品目の一覧にも記載しております。
ご先祖様の残したものや、遺品・譲り受けたものなどで、作家のわからないもの、骨董品や美術品なのかどうかもわからないといった場合でも、お気軽にお問い合わせください。また、記載の作家・品目でございましても、状態・真贋などによりましては対応できない場合がございますがご容赦ください。
まずはメール、またはお電話をお待ちしております。お気軽にご相談ください。

このたびは骨董品買取の藝品館へお越しいただき、誠にありがとうございます。
骨董品には一点物が多く、また時代や流通により価値が大幅に変わります。
当館には江戸時代からの莫大な数の骨董品に関する資料があり、さらには最新のコンピューターネットワーク等を駆使した数百万点にも及ぶ骨董品売買データベースに基づきまして、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示できると自負しております。
評価額に自信がございますので、相見積もり(査定価格比較)も歓迎いたします。

骨董品についてのご相談は藝品館へ、ぜひお気軽にお問い合わせください。
メールでお問い合わせいただければ、パソコンからスマホから、フォームに沿って必要項目をご入力いただくだけで迅速に簡易査定させていただけます。
また当館からのご連絡方法は、お客さまのご都合で指定していただけます。
メールで無料お問い合わせ
電話受付時間 9:00 ~ 20:00
メールやLINEでの受付は24時間承っております。
買取・無料査定のご依頼から各種ご相談まで、お気軽にご連絡ください。
買取方法の詳細につきましては買取査定の流れをご参照ください。

LINEでの簡易お問い合わせも承っております。
所有者・購入時期・作者名・売却のご予定やご希望価格など、なるべくご依頼・ご相談の内容がわかりますような詳細を添えてお問い合わせください。
また査定業務等の都合により、ご返答にお時間を頂く場合もございます。
予めご了承のほどよろしくお願いいたします。


骨董品を売るときのポイント
付属品を忘れずにご確認ください。
骨董品は付属の箱や中の極め札、仕覆、包む布などすべてが、骨董品自体に関係している作品の一部と考え、見なされますので、関連品は本体と離さずに保管の上査定買取時には必ずお持ちください。
付属品の有無で査定価格に大きな違いが出ます。
写真を送る際は付属品も併せてお写真の撮影をお願い致します。
例えば骨董品が箱に入っている場合は、その箱に品名や全所有者の情報、あるいは著名鑑定家の鑑定の箱書が書かれていたりしますので、そちらも骨董品の価値を鑑定し、判断する上で重要な情報となります。
骨董品の保管方法
骨董品の保管に関しましては、美術倉庫などに預けられるのが一番ですが、そのようにされない場合は、高温多湿のところや直射日光は必ず避けて保管いただきますようにお願い致します。絵画や掛け軸、漆器類などは少しの直射日光により変色し価値が損なわれる場合もございます。また日本刀では半年に一回は油を塗り替えることで錆などを防ぎ日本刀の保管方法に従って保管ください。
骨董品の買取は専門家へ

骨董品は、専門に扱う者でないとわからないものがたくさんございます。
引っ越しや相続、また遺品の整理などをするにあたって清掃業者が、先祖から受け継がれてきたり故人が大切にしてきた希少な骨董品を誤って廃棄してしまうケースなどもよくあり、買取の場合にしても、ブランド品などと複合して扱う買取専門業者やリサイクルショップなどと当店のような骨董品・美術品を専門に鑑定・査定する業者とでは、査定価格を比較すると一目瞭然の歴然とした差がございます。
骨買取の一例といたしまして、純銀製の煎茶道具である秦蔵六作の一般的な銀瓶の例を挙げてみましょう。
質屋やリサイクルショップでの買取は一般的に銀や金のものはグラムでの評価が通常ですので、純銀500グラムの銀瓶としますと、買取相場価格は1グラムあたり120円とすると、500グラムでの60,000円ほどになるでしょう。
しかし、骨董の煎茶道具には美術品としての価値がございます。
品物の状態にはよりますが、美術骨董品としてはおよそ、500,000円以上の査定評価額による買取ができます。
煎茶道具のみならず絵画、掛け軸など、すべての骨董品・美術品の分野でこのようなことはございますので、まずは一度ご相談いただければと思います。
また、
骨董品は、美術品としての適切な評価がなされなければ、保存状態もままならぬまま価値を失ってしまったりします。
文化財や残すべき歴史的な文物がそういう道を辿ってしまうのは、非常に悲しいことです。
藝品館では、お客さまの大切な骨董品の価値・評価を高め、次の時代に繋げていくことが、私どもの果たすべき責務だと考えております。
従業員一同、誠心誠意対応させていただきますので、ぜひともお任せ下さい。

古美術・骨董品とは
骨董や古美術、それぞれ意味や定義はございますが、それらの言葉に抱くイメージは皆様それぞれではないでしょうか。
時代や作者、文化・思想などは当然の事ながら、それらを伝え、残してきた方々の思いがあり、古美術品や骨董品と呼ばれます。
そしてそれらの品々の価値をを見極め、引き継ぎ、伝えていくことが藝品館の務めです。
価値がわからない、骨董品・古美術品と呼べるものかわからない、そのようなものでもぜひ一度、私どもにご相談下さい。
藝品館では古美術品・骨董品の買取に力を入れております。日本全国、査定鑑定対応いたします。
日本古来の古美術、先代のコレクション、収集品を整理や相続で売却希望の方は御気軽にご連絡ください。
経験豊富な古美術商が適正な価格で買取させていただきます。
古美術の分野
など、古いものだがどうだろうか?と思うものでも御気軽に、まずはお電話・お問い合わせフォームよりご連絡ください。
品物の状態や数量、お日にちなどを決めて専門の査定員がお伺いさせていただき、お持ちの売却希望の古美術品を査定させていただきます。
査定額にご納得いただけましたら買取させていただきます。
埃だらけでもこんなものが?というものが、思わぬ高額査定になり高価買取となることがあります。
特に掛け軸・墨蹟や古陶磁などの古美術は、蔵などでそのままになっていたり押し入れにずっとしまわれている場合が多いです。数量の大小にかかわらずご質問でも構いませんので御気軽にご相談くださいませ。