古銭の買取について

古銭買取は藝品館へおまかせください。

趣味は、心に安らぎを与え、生活をより豊かに、楽しさを与えてくれます。 趣味の収集には、陶磁器・絵画を始め、刀剣武具・甲冑切手など数多くありますが、これ等の趣味の中でも古銭のコレクターは今急増しています。
その理由として国際的に金・銀の価格が高騰し、古銭の希少価値に目を付け投機的に収集しようとする人が増えたことが挙げられます。
古銭は祖先が遺してくれた最大の文化遺産、貴重な1枚の古銭は無言の内にも、現代のわれわれにその歴史的な背景を語ってくれます。

古銭の買取や鑑定査定はご気軽にご相談ください。

古銭とは

大判

大判は安土桃山時代・江戸時代の金貨幣の一種です。
大判はもともと板のようにつくり「バン金」(板金・判金・版金 )などと呼ばれていました。大判と名付けられたのは、小判に対して大判と呼び、成立時代は室町中期と伝えられています。
豊臣秀吉が鋳造させた天正大判が有名で、形も楕円となり桐紋の極印が打印され「拾両後藤」と花押(かおう)が墨書きされ、量目165グラムとなりました。しかしこの大判は一般流通の通貨としてではなく、贈答等の目的に使われていたようです。

江戸時代にはこの天正大判に倣って、五種類ほど鋳造されたと伝えられています。
天正大判に倣った最初の大判は、徳川家康が鋳造した「慶長大判」です。これは元禄8年(1695年)まで続けられ、「元禄大判」「享保大判」「天保大判」「万延大判」が作られました。
こうした大判は、幕府の御用彫金家後藤家の大判座で造られ、時代により品質の優劣はあったと伝えられています 。

小判

小判は江戸時代の金貨幣の一種です。
大判を小判にしたもので、一枚の小判が一両を建前にたものです。つまり金貨幣の標準をなすものです。 徳川家康が江戸時代駿河で鋳造させましたたが、天下平定の後、1601年(慶長6年)金座に慶長小判を鋳造させ全国に流通させました。その後元禄・宝永・享保・元文・文政・天保・万延などで数多くの小判が発行されています。
徳川家康のように全国統一の物ではないが、この時代多くの小判が作られました。上杉謙信・武田信玄・織田信長・今川義元・伊達正宗・北条氏康党の大名たちです。こうした戦国武将の小判は、品質も一定しないものが多く作られました。