武具・甲冑の買取について

武具甲冑買取は藝品館へおまかせください。

蔵やご自宅を整理していて武具の類が出てきたがどうしたらよいかわからない、御先代様が武具の蒐集家でご自宅に武具や甲冑を収蔵しておられる等、武具の鑑定・買取査定のご依頼・相談はどうぞ藝品館までお申し付けください。

刀剣・日本刀の買取刀装具の買取もお任せください。

写真送付による査定も行っております。
藝品館の査定員が買取査定価格をお伝えいたします。携帯電話による撮影写真で十分ですので、どうぞお気軽にご送付ください。
買取査定をご希望の方は、ご所蔵の武具の全体がわかるお写真と、箱や箱書きがあればそちらを撮影したお写真もご用意いただき、藝品館までお送りください。

鑑定・買取査定のご依頼を心よりお待ちしております。

武具とは

武具とは、兵器が用いられる以前に戦で使用されていた道具のことです。
武具は、鎧、兜、甲冑、刀剣、顔を守る面頬めんぽう、半頬、顎頬、腕から甲を守る籠手こて、胴、下半身を守る草摺くさずり、膝まわりを守る佩楯はいだて臑当すねあて、軍配、陣羽織、陣笠、火薬入、弓矢、楯、槍など多種多様です。
それぞれの武具は、その時代で最先端の工芸技術を駆使して造られました。なかには用途を越えて美術工芸品として見事な武具も遺されており、今日では国内だけでなく海外の蒐集家によっても大変珍重されています。

甲冑の変遷

甲冑は鎧兜のことで、弥生時代から江戸時代まで、戦場において体を保護するために着用しました。
甲冑は、製造された各時代の最先端の技術が注がれており、護衛服としてだけではなく、美術工芸品としてもレベルの高い見事な甲冑が今も残っており、蒐集家を虜にしています。

古くは縄文時代には石や木でできた槍や斧、弓を使って攻撃をしていましたが、弥生時代になると外国から鉄や青銅が輸入されるようになり、それに伴って武器も鉄製の剣や太刀、戈、刀子等が使われるようになります。そしてそれら鉄製の武器から身を守るために、短甲と衝角付冑しょうかくつきかぶとが着用されました。
平安・鎌倉時代になると、戦闘形態も徒歩戦から騎射戦となり、武器も弓矢や太刀、長巻(刀剣の一種)などが攻撃武器の中心となり、大鎧が武具として着用されるようになりました。
平安時代中期から鎌倉時代初期の兜は、厳星兜いがぼしかぶとと呼ばれる十数枚の鉄板をはぎ合わせ、それらを兜本体に頭の大きい鋲(星)でつなぎ合わせた兜が着用されました。鎌倉時代中期には星が小さくなった小星兜が着用されます。
鎌倉時代後期になると、筋兜と呼ばれる兜本体を形成する鉄板を接ぎとめる鋲(星)を見せず、鉄版の縁をねじりたて、接ぎ目を筋状に見せた兜が登場します。
南北朝・室町時代になると、諸国の武士の対立が激しくなり、合戦も険しい山の地形で行われるなどし、戦闘形態も一騎駆けよりも徒歩戦、集団戦の方が多くなります。集団戦での接戦に対応して、武器は大太刀や大薙刀といった刀剣や楯、甲冑はより動きやすい腹巻に変化します。兜は筋兜や阿古陀形兜が使用されました。
戦国時代になると鉄砲が伝来します。これに伴い、甲冑は当世具足とうせいぐそくと呼ばれる西洋の甲冑から影響を受けたものに変化します。鉄砲に対応して、頬当や咽喉輪、籠手、脇曳、佩楯などの小具足も着用しました。
桃山時代から江戸時代には引き続きこの当世具足が身に着けられました。寛永から寛文頃にはより堅牢なつくりの様具足が製造されました。文化・文政頃になると、復古調の鎧が製造されるようになりました。その後、鉄砲が急激に発展すると、甲冑は防御服としての機能を失い、甲冑文化は急激に衰退することとなったのです。

著名な甲冑師

  • 春田派
  • 岩井派
  • 明珍派
  • 早乙女派
  • 左近士派
  • 脇戸派
  • 小泉派
  • 市口派
  • 馬面派
  • 梶尾派
  • 宮田派
  • 長曽根派

武具・甲冑の買取実績

買取りさせていただきました武具・甲冑をご紹介します。

武具・甲冑の買取実績一覧

※骨董品・古美術品の性質上、全くの同一作品というものはなく、真贋はもちろんのこと状態や出来、その時折々の人気など様々な要素によって骨董品や美術品の価値・価格は変化します。

また、それらの要素を豊富な経験や実績、昨今のデータと照らし合わせて、お客様の品物一つ一つを適切に買取査定するのが私どもの役目でもあります。
買取事例の一つとして、あくまで参考価格とお捉えください。