蒔絵の買取について

蒔絵買取は藝品館へおまかせください。
絢爛豪華な金色の蒔絵は日本が世界に誇る漆工芸の至芸と言っても過言ではありません。蔵整理やご実家の整理などで出てきました蒔絵の買取や鑑定査定は当館にご気軽にご相談ください。

蒔絵とは

蒔絵は定着剤とし漆で器に絵や文字を描き、その上から金粉や銀粉を散らし「蒔く」ことで装飾を行う漆技法の一つで、日本で独自に発展してきました。
中国をはじめとした東アジアや東南アジアでも、金粉を漆に溶かして「金泥」を作り漆器に金色を施す技法はありますが、蒔絵とは技法自体が根本的に異なります。また、多色表現をする漆絵と異なり基本的に金属色だけで仕立てる蒔絵は、含有率の粒の大きさの異なる金属粉を使うことで色彩の単調さを克服するという類まれな表現方法を用いています。

英語で漆を「ジャパン」と称することからも分かるように日本人と漆の関りは非常に古く、縄文時代の遺跡から9000年前の漆を使った装飾品が出土しています。古墳時代まで漆は塗料として使われ、私たちが知る漆器が作られるのは奈良時代からです。

日本で最初の蒔絵として確認されているのが、正倉院に収蔵の「金銀鈿荘唐大刀」です。この鞘の部分に蒔絵と同じ技法が用いられ、他の漆器には同様の技法は使われていません。
正倉院の収蔵目録国家珍宝帳には、その詳細として「末金鏤作」と漢語でされています。「末金」は「粉の金」、「鏤」は「彫って付ける」という意味です。
2009~10年に掛けて宮内庁が行った科学調査でも、現在の「研出蒔絵」と同じ技法と確認されています。この大刀は当時唐からの輸入品を日本で模倣した文物です。
隣の中国でも漆芸は盛んで、当時は日本より優れた技術を多く持っていました。紀元前の戦国時代の遺跡からも、蒔絵と同様の技法を用いた発掘品もあるため、蒔絵技法自体は中国から伝来したと考えられます。
しかし現在の中国ではこの技法は無く、唐以降に途絶えた技法が日本で脈々と受け継がれ洗練されていったと推測されます。

蒔絵は平安時代以降、主に貴族社会で珍重され家具や文具などの調度品をはじめ寺院や屋敷の建築にも用いられました。
この漆芸が現在と同じ「蒔絵」と称されるようになったのは、竹取物語が初出とされています。
その後平安時代末から鎌倉時代に掛けて、蒔絵を施した部分を平らに磨いで光沢を出す「平蒔絵」の技法が完成します。やがて鎌倉時代から室町時代に掛けて、漆を盛り上げて塗り模様に立体感を出し金属粉を蒔く「高蒔絵」も行われるようになりました。

江戸時代になると京都や大阪の蒔絵師が江戸城本丸の御細工所に招聘され、御用蒔絵師として江戸城の調度品や建築、贈呈品などの制作に携わりました。また諸大名もこれらの蒔絵師を招聘し、各藩の庇護の下で蒔絵の制作が行われ隆盛を極めました。
現在行われている蒔絵の技法は、すべて江戸時代に完成したものです。

蒔絵は制作に非常に多くの時間を費やすため、明治時代になると諸大名の庇護が無くなった蒔絵師たちの多くは廃業に追い込まれます。
一方で明治以降に海外の貿易商によって日本の文物が欧米にもたらされると、ジャポニズムと呼ばれる一大日本ブームが巻き起こります。蒔絵も当時の欧米に無い装飾技法だったので大変注目を集めました。
明治中期になると、明治政府は殖産興業政策の一環として蒔絵の工芸品を万博などに出品し、外貨獲得の輸出品目の一つとして後押しするようになりました。
その甲斐もあり蒔絵は美術工芸品としての命脈を保ち、現在も多くの蒔絵師が素晴らしい美術作品を世に送り出しています。