仏像の買取について

仏像買取は藝品館へおまかせください。
日本人は無信教と言われていますが、大抵葬式は仏式で行い、仏壇があればご本尊として仏像があります。また寺院を訪れればやはりご本尊として仏像を目にする機会は多いでしょう。その慈悲に満ちた眼差しや、厳かな、時に荒々しい御影は私たちの心を虜にします。
蔵整理やご実家の整理などで出てきました仏像の買取や鑑定査定は当館にご気軽にご相談ください。

仏像とは

仏教は紀元前450年ごろのインドでお釈迦様によって創始されました。
原始仏教は哲学的な色彩が強く、その理念を表すシンボルマークなどはありましたが仏像は存在しませんでした。

釈迦の死の100年後、アレクサンドロス大王の東征でギリシャ人がインドの地まで到来しました。仏教に感化された彼らは布教のために彫刻の技術を生かし仏像を作り始めます。
これが世に有名なガンダーラ仏です。その顔はインド・アーリア人の趣で、ギリシャ彫刻のように写実的です。こうしてインドで仏像が作られはじめます。また釈迦やその弟子たちの姿を絵画で描くことも盛んになります。やがてシルクロードを通じ、諸民族の美術様式を吸収しながら紀元前後には中国に到達します。

隋・唐の時代は中国国内で仏教が盛んになり、金属や木材、乾漆と呼ばれる漆製の仏像などが数多く作られるようになりました。服装も当時の唐風の服装や、天部など仏教の守護神であれば当時の中国の鎧姿で表現されました。

日本に仏教がもたらされたのは飛鳥時代と言われています。仏像も時を同じくして請来されます。
この時代の飛鳥仏などは、シルクロードのオリエンタル的な趣を色濃く残しています。奈良、平安時代初期は護国鎮護に仏教が用いられ、遣唐使を通じ中国の最新の仏教や仏像が次々に日本に請来しました。奈良の大仏も唐風の仏像の影響が色濃く反映されています。
こうして中国風の多くの仏像が日本にもたらされると、国分寺などにそれを模倣した仏像が次々と安置され、民衆の間にも仏教が広がっていきます。

しかし遣唐使が廃止され国風文化が重視されると、仏像制作にも変化が訪れます。姿かたちも日本人のようにメリハリが無くふっくらとなり、表情もおだやかで優雅になります。
こうして少しずつ国内で仏教や仏像のあり方が変化していきます。

鎌倉時代に武士が台頭すると国内で末法思想が広がり、鎌倉仏教と呼ばれる日本の独自性の強い仏教が次々と生まれます。浄土系の法然や親鸞、禅宗の道元や栄西、日本独自の仏教を開いた日蓮などです。
このようなダイナミックな変化と呼応するように、仏像の製作も大きな変化がありました。それが仏師の運慶・快慶を中心とする慶派の誕生です。
それまでの仏像と違い、彼らの仏像は非常に写実的で筋骨は隆々とし、表情もリアルです。東大寺で有名な金剛力士像を見れば、そのリアリズムのほどが分かるでしょう。この表現法が当時の支配階級の人々に受け、興福寺を中心に慶派の仏師たちが京都や鎌倉の寺院で次々に仏像を製作していきました。
これが以後の日本の仏像の方向性を決定づけます。

室町時代以降は仏像制作に新たな潮流は生まれず、慶派の作風の模倣という状態が続いて形骸化し、江戸時代を通じても変化はありませんでした。仏師も職人的な意味合いが強くなり、技量の良し悪しは単に模倣が上手いかどうかになっていきます。

明治維新後、西洋の美術様式が日本に浸透するようになると、ようやく仏像界にも変化の兆しが表れます。
当時高名な仏師であった高村光雲は西洋美術の様式を採り入れた仏像の製作を行っています。また昭和に活躍した大仏師・松久宗琳は天平時代の仏像や慶派の仏像を再考証し、古典的でありながら非常に写実性に富んだ仏像の製作を行っています。

このように日本の仏像はインドや中国とは異なった様式美を兼ね備えています。現在のインドや中国、或いは上座部仏教が主流の東南アジアの仏像を私たちが見た時、少し違和感を覚えるのは日頃目にしている仏像が日本の風土に培われたものだからです。
仏像は信仰の対象ですが、美術品としても鑑賞の対象になります。
仏師でなくとも仏像を自分の作品製作の対象としている作家も多く存在しているのは、その様式美が人々の心を捉えるからです。

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