仏画の買取について

仏画買取は藝品館へおまかせください。
仏画は仏教に係る絵画全般を指します。
仏教の教祖である釈迦やその生涯、如来や菩薩といった諸尊、浄土や地獄、六道輪廻といった仏教世界、チベット密教などで用いられる幾何学的な曼荼羅、また羅漢や祖師など仏僧の肖像画もすべて仏画に入ります。
蔵整理やご実家の整理などで出てきました仏画の買取や鑑定査定は当館にご気軽にご相談ください。

仏画とは

仏画は古代インドで紀元前2世紀ごろからアジャンター石窟寺院などで壁画として描かれるようになりました。
視覚的な効果が高い壁画は文字や言葉で難解な仏教の世界観を説明するより、民衆を教化するのが簡単だったからです。やがてシルクロードを通じてその街道ごとに仏教寺院である石窟が作られ、そこに壮麗な壁画が描かれるようになりました。中国でも敦煌や唐の都の洛陽にある龍門石窟群にも仏教の壁画が描かれています。

中国では唐の時代に紙が既に一般的に使われており、壁画として描かれた仏画が紙に描かれるようになりました。また7世紀ごろにはチベットで生まれた密教が中国にも伝来し、曼荼羅が描かれるようになります。
留学僧であった空海は当時最新の仏教であった密教を身に付け、金剛界・胎蔵界が描かれた両界曼荼羅などの各種仏画を持ち帰ります。日本には既に朝鮮経由で仏像や仏典はもたらされていましたが、色彩豊かな仏画はより仏教世界を理解する効果がありました。また仏像を作るよりも簡単なため、日本国内でも仏画製作が盛んになります。
これらは様式が決まっており、製作はほぼ模写です。

ところでこれに危機感を抱いたのが、当時仏教に押されていた日本の神道です。
神道ではご神体とされる鏡や剣など神ゆかりの神器をそれぞれの神社で祀っていましたが、仏教のように教義として体系化されておらず、議論すれば理論的に仏教に打ち負かされる状態が続いていました。神道でも神々の体系化が急がれ、その中で本地垂迹なる説が誕生します。それは仏教の仏尊は日本の神々の仮の姿であり、日本の神の方が権威として上位であるという考え方です。
例えば密教の教主である大日如来は太陽の化身ですが、これは同じ太陽神である神道の主尊・天照大神の仮の姿であるといった具合です。

こうして神道側で本地垂迹説に基づいた神像や絵画が盛んに作られるようになりました。その中で誕生したのが春日曼荼羅です。
鎌倉時代になると日本でも仏教の再編が進み日本独自の解釈が加わった浄土宗や日蓮宗、禅宗など各派に分かれていきます。
藤原氏の氏神である春日大社はこの間に起こった神仏習合の影響を受け、神と仏の関係を描いた本地仏曼荼羅、春日大社の神である神鹿と鏡を描いた鹿曼荼羅、春日山を浄土に見立てた春日浄土曼荼羅、春日大社の社殿を描いた宮曼荼羅などを製作しました。

宗教界では仏教と神道の別は意識されていましたが、その信者である民衆はそれぞれの複雑な教義を理解していません。
当時の庶民の宗教に対する認識は「この神に願い事をすればご利益がある」という程度の即物的なものでした。まさに「捨てる神あれば拾う神あり」で、海外から無信教と呼ばれる現在の日本人と差ほど変わりません。仏教も神道も信者獲得にそれぞれの神を利用する傾向は続き、興福寺系の寺院では儀式に春日曼荼羅が用いられるようになりました。
これにより民衆の間でもご利益の対象として春日信仰が根付き、江戸時代を通じ仏画として春日曼荼羅が盛んに作られ続けました。

明治時代になると、様式が決まっていた仏画は西洋画の影響を受けた近代作家の人々によって新たな展開を迎えます。
近代日本画の父と呼ばれる狩野芳崖は今までの仏画では見られなかった西洋の色彩感覚や空間表現を用い慈母観音(重要文化財)を描き上げ、後世の画家たちに大きな影響を与えます。壮大な仏教の世界観は近代美術家の表現対象となり、宗教画から美術作品へと昇華していきます。

もちろん、それまで日本で描かれてきた仏画は当時の人々の神仏に対する信仰の現れてとして資料的にも美術品としても高い価値を持っています。
仏画の持つ普遍的な様式美は、現在も私たちの心を揺さぶり、大きな感動を与えてくれます。

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