浮世絵の買取について

浮世絵買取は藝品館へおまかせください。

浮世絵は江戸時代に瓦版と共に庶民の娯楽として発達した絵画です。
「浮世」とは現代社会を指し、当時の社会や風俗を描く風俗画です。江戸時代に木版印刷が発達すると、現在のブロマイドやポスターと同じ感覚で大量に販売が可能になります。浮世絵が19世紀末の欧州絵画に大きな影響を与えたため美術的な価値が上がり高値で取引されますが、当時の版画は今の貨幣価値で1枚数百円とお小遣いで買えました。

浮世絵の買取や鑑定査定はご気軽にご相談ください。

浮世絵とは

皆さんが浮世絵の名作としてすぐに思い浮かべるのは、葛飾北斎の冨嶽三十六景と歌川広重の東海道五十三次ではないでしょうか。
くしくもこの2つの作品は同じ時代に製作され、北斎と広重は良きライバルでした。当時北斎は齢70の老練な老人、片や広重は30半ばで絵師として脂が乗り切った頃です。

北斎は世界の絵画史上でも多くの影響を及ぼした作家ですが、50代まで絵師としては鳴かず飛ばずの状態が続いていました。
幼少期に絵師を志し、18歳の時に浮世絵師の勝川春章に入門。しかし師の死去と共に破門されると、以後独自の画境を追求しだします。当時から絵は達者でしたが歌麿や写楽の絶頂期と重なり、常に後塵を拝していました。
北斎は改号が多いのは、彼らを超えるため画風を変えるたびに改号したという説があります。

40代に読本の挿絵を描くようになると、その達者ぶりが評判になり絵師としての仕事も安定します。55歳の時に発刊した絵の手ほどき本北斎漫画が大好評で、ようやく一流絵師の仲間入りを果たします。
以後大名や豪商から仕事の依頼が殺到しますが、本人は只管画境を極めることに専念し、金や生活には無頓着な上、プライドも高かったので終生赤貧でした。

冨嶽三十六景は北斎70歳の時、浮世絵の版元・永寿堂の依頼で製作した作品です。彼はここで西洋画の遠近法を駆使した作品作りを試みます。また西洋から輸入したペロ藍と呼ばれる群青の顔料を強調した彩色を行っています。
北斎は長年温めてきた構想や技法を注ぎ込み冨嶽三十六景は完成、刊行されるとその表現方法の斬新さや鮮やかな群青の色彩美がたちまち江戸庶民の評判をさらいました。

さて、冨嶽三十六景に衝撃を受けたのが、若き歌川広重です。
広重は火消同心の子として生まれましたが、幼少より絵が好きで15歳の頃に浮世絵師の歌川豊広に入門。同心を兼業しながら絵を描いていました。
天保3年に息子の元服を契機に同心職を譲り、絵師に専念します。その年、満を持して東都名所を発表し好評を得ますが折しも同時期に冨嶽三十六景が刊行され売れ行きは良くありませんでした。広重は冨嶽三十六景の斬新な構図や色彩に圧倒され、その研究を行います。
そして2年後、当時の伊勢参りブームにあやかった名作東海道五十三次を発表。そこには北斎と同じ遠近法やペロ藍が巧みに使用されています。また同作は旅のガイドブックにもなったため冨嶽三十六景を凌ぐ売れ行きとなりました。

北斎からすれば心血を注いだ冨嶽三十六景が、僅か2年で30歳そこそこの広重に負けるとは夢にも思わなかったでしょう。しかも東海道を題材にした作品は彼が50歳の頃に刊行しています。北斎は内心面白いわけがありません。北斎は広重に負けんとばかりに次々に作品を発表、広重もそれに呼応して作品を発表します。
しかし、技巧的な北斎の画風より情緒的な広重に常に江戸庶民は軍配を上げるのでした。

北斎が広重をどう思っていたかは伝記が無いので明らかではありません。
しかし弟子の露木為一の証言で、80歳にもなる北斎が猫1匹描けないと涙していたという逸話や、臨終に及びあと5年の寿命が伸ばせれば真正の画工になれると嘆いていた有名なエピソードを考えれば、プライド高い北斎が評判で広重に負けていることを気にしていなかったことはないでしょう。

一方、広重も北斎をどう思っていたかは、同じく伝記がないので分かりません。しかし広重が北斎を意識して学んでいたことは確かです。
広重が残した浮世絵の中には明らかに北斎の作品を真似した絵や構図があり、しかもそれに自分なりの工夫を加えられ「自分ならこう描く」といった意気込みが感じられます。
さらに広重は北斎の死の3年後不二(富士)三十六景を発表しています。これは北斎の冨嶽三十六景とは異なり広重らしい繊細で情緒的な作風で、北斎の富士とは様相自体が異なります。
もし広重が北斎をライバルと見ていたなら不二三十六景東海道五十三次と同様に、画風自体も被せてきたことでしょう。また、不二三十六景が北斎の死後に発表されたことから考えても、北斎の最高傑作に対する広重のオマージュと捉えた方が納得できます。何せ同じ『三十六景』なのですから。

北斎も広重も生来絵が好きで、画境を極めようと終生情熱を注いだ作家です。
冨嶽三十六景東海道五十三次が、後の日本や世界の絵画史に影響を与えたことは疑いありません。これらの作品は多くの版本があり、現在でも美術館や図録、ネットなどでも鑑賞できます。

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