藤原啓作品の買取について

藝品館では藤原啓作品の買取査定を行っております。
藤原啓の茶碗、花入、徳利、ぐい呑、壷、皿などの備前焼陶磁器等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

藤原啓という人物

藤原啓 (ふじわらけい 1899-1983) は昭和期に活躍した岡山出身の陶工です。
長男の藤原雄も親子2代に渡っての人間国宝として知られます。
1889年に現在の備前市で生まれた藤原啓は、幼少期から俳文の才能を発揮しており、1915年には博文館の雑誌 文章世界 に応募した短編小説が一等賞となって、1919年に上京して博文館に勤めます。1922年からは 夕の哀しみ 壊滅の都市 を刊行するなど活躍していましたが、1930年に独立した頃から、文学自体やマルクス主義の思想、己の才能に疑問を抱いて弱り、1937年に静養のため帰郷します。

1938年、静養中に評論家である正宗白鳥の弟・正宗敦夫に陶芸を勧められ、伊部で作陶していた三村梅景に陶芸の基礎を学びます。同年には後に人間国宝となる金重陶陽の門人となり、40歳という職人としては遅いスタートながら、備前焼の技術を習得してゆきました。
金重陶陽に長く学び、1948年には職人としてのステータスである技術保存資格を取得し、また北大路魯山人からの指導もあり更に技術を磨いて、1954年、北大路魯山人の斡旋により東京日本橋の高島屋で個展を開くまでになります。
1957年には岡山県指定無形文化財「備前焼」保持者となり、翌年には出展を続けていた日本伝統工芸展の主催団体である日本工芸会の理事となっています。そして1970年に人間国宝である重要無形文化財「備前焼」保持者に認定されました。

藤原啓の作風

藤原啓の備前焼は、師の金重陶陽のような桃山時代風の古備前を基礎としますが、師のずっしりとした重みを減らし、軽やかで桃山から少し離れた現代的な形態の作風となります。形状以外にも作品には窯の火による窯変が美しく出ることが多く、見どころが多数存在します。
総じて、師の願いとして古備前の復興をさせながらも、同時に備前焼に発展をもたらす作品を制作しました。