佐藤玄々作品の買取について

藝品館では佐藤玄々作品の買取査定を行っております。
佐藤玄々の木彫などの彫刻作品等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

佐藤玄々という人物

佐藤玄々/朝山 (さとうげんげん/ちょうざん 1888-1963) は20世紀初頭の彫刻界において、日本の伝統と西洋の技法を巧みに融合させ、独自のスタイルを築いた彫刻家として知られています。
彼の作品は、深い感受性と緻密な技巧で、日本の彫刻の可能性を広げ、新しい表現を模索し続けました。

福島県相馬群(現在の相馬市)生まれの佐藤は、本名を清蔵といい、彫刻家としての別号として朝山・阿吽洞と名乗りました。彼の彫刻家としてのキャリアは、山崎朝雲に師事することから始まりました。
山崎は、伝統的な日本の彫刻技法を基盤とし、そこに新しい感受性や技法を取り入れることで、時代に合った彫刻を作り上げることを目指していました。佐藤もその影響を受けつつ、自らの道を模索し続けました。

佐藤玄々の彫刻家としての成長を加速させたのは、フランスへの留学経験でした。渡仏して、彫刻の巨匠ブールデルの指導を受けることで、彼は西洋の彫刻技法や思考法に触れ、その影響を深く受けました。ブールデルは、彫刻の形状や質感、立体性などの要素を追求し、その作品は時代を超えて高く評価されています。
佐藤もその教えを受けて、日本の伝統的な木彫技法と西洋の彫塑技法を融合させることを試みました。彼の作風は緻密なだけでなくその彩色の細かさにもあります。仏教彫刻や建築の中にもその色合いが生かされており、独特の作風の木彫作品は現在も残っており、鑑賞の的となっています。

帰国後、佐藤は院展や帝展での展示を中心に活動を展開しました。彼の作品は、日本の伝統的な技法とブールデルの影響を受けた西洋の技法が見事に融合されており、新しい彫刻の可能性を示しました。その独自のスタイルと高い技術力は、当時の彫刻界で高く評価され、多くの賞を受賞しました。
彼は、その後も彫刻の新しい表現方法を追求し続け、多くの作品を残しました。芸術院会員としても活動し、彫刻界の発展に貢献し続けました。

昭和38年、75歳で亡くなった佐藤玄々(朝山)ですが、彼が遺した作品は、今も多くの美術愛好者や研究者から評価されています。彼の作品を通じて、日本の彫刻の伝統と西洋の技法がどのように融合し、新しい表現を生み出すことができるかを感じることができます。彼の追求した美の形状や質感、立体感は、現在でも評価され、鑑賞され続けています。