加藤唐九郎作品の買取について
藝品館では加藤唐九郎作品の買取査定を行っております。
加藤唐九郎の志野茶碗や瀬戸茶碗、織部焼などの陶磁器等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。
加藤唐九郎という人物
加藤唐九郎 (かとうとうくろう 1897-1985) は愛知県生まれの陶芸家です。
1897年、農業と窯業を営む両親のもとに愛知県東春日井郡(今の瀬戸市)に生まれた加藤唐九郎は、幼少期から陶芸に親しんできました。
他にも南画や漢籍も学び芸術の幅を広めていきましたが、1914年17歳の時父の窯業を継ぐことを決めました。
加藤は作品を制作しながら瀬戸焼の発掘調査を行い、1929年には瀬戸古窯調査保存会を発足させました。発掘調査の中で「瀬戸焼の開祖は加藤景正」とされていた説に異論を唱え物議を醸し、加藤の評判は下がってしまいます。
しかし、作り出す作品によって名誉を挽回させた加藤は研究を通じて黄瀬戸・志野・織部・唐津・信楽・高麗茶碗といった伝統的な陶芸にのめり込んでいきます。中でも織部焼はそれまでの伝統に囚われない自由な作陶で加藤の代表作とも言われるほどになり、後に国の当時の無形文化財有資格者に認定されました。また日本文化芸術使節団の一員として諸外国の訪問や日ソ工芸展の実行委員長を務めるなど、日本の窒業の公的な国際事業にも積極的に関わります。
しかし、再び加藤の評判が下がる事件が起こります。それが1960年に起こった「永仁の壺事件」です。この事件は鎌倉時代の古瀬戸として国の重要文化財として指定された作品が実は加藤が作製した作品であったというもので、息子である岡部嶺男とはこれを機に完全な決裂となってしまいます。この事件で加藤は日本陶磁協会と日本工芸会の理事など多くの公的職務を辞職しましたがその後、再び作品製作に没頭し数々の有名作品を生み出して名誉を挽回します。
織部焼に限らず、様々な種類の陶芸をミックスしたようなバリエーションあふれる作風は、現代陶芸界でも類を見ず陶芸界の歴史にその名を残しております。
また、陶芸の技術を建築に取り入れた陶壁は加藤が生み出し、の中に浸透させたと言われています。代表的な作品は志野茶碗の氷柱、黄瀬戸の輪花鉢、陶壁では鳳凰などがあります。