石濤作品の買取について

藝品館では石濤作品の買取査定を行っております。
石濤の山水画などの掛軸・書画・扇面等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。
経験豊富なスタッフや中国美術専門家が責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

石濤という人物

石濤 (せきとう 1642-1707) は明末清初の著名な画家で、中国絵画史上で重要な人物の一人です。
広西省桂林市出身で、本名は朱若極。字は阿長。号は多く、大滌子、清湘老人、苦瓜和尚、瞎尊者など。僧侶として清初四僧の一人にも挙げられ、法号には原済などあります。

元々明の王族の末裔で、生没は不詳であるが生まれは1642年頃だと推定されています。
幼いころ、明朝滅亡の混乱の中から逃れた朱若極は桂林の湘山寺で得度して僧となり、石濤と名乗りました。
その後、安徽省の敬亭山広教寺、黄山など各地を放浪し、画家たちと親交を結びました。この時黄山に何度か登り、彼が描く山水画に大きな影響を与えています。

30歳の頃に南京に出て還俗し、画を売って生活することを生業とするようになります。
清の康熙帝が南巡した際に南京と揚州で明の遺民として二度詩画を献上し、これが契機で北京に上京し社交界デビュー。貴族や官僚のために絵を描きましたが、仕官の夢は叶わず失意のうちに南京に戻り、絵を売る生活を続けて最後は揚州で生涯の幕を閉じました。
没年は1705~1718年で諸説あります。

石濤の山水画

石濤は山水画の巨星であり、また蘭竹などの花卉画も得意としました。
絵を習い始めた頃は名書画家で理論家の董其昌の説を規範とし、宋代の画の様に自然の気を絵の中に表現しながら古画の雰囲気を模倣していました。
後に当時大都会の南京での生活で多くの画家や文人と交わると、諸派の長所を取り入れ伝統的な筆や墨の使い方に石濤なりの工夫を凝らしていきます。

彼は「奇峰を探し求め、草稿を行う」ことを主眼に置き、大自然の特徴をその絵の中に如何に表現するかを論理的に考えながら作画を行うようになります。そのため石濤は描く対象によって墨の濃淡や、筆の精粗、画の描き込み具合などを悉く変え、その画風は決して一定していません。
これは当時の画壇では革新的なことで、石濤の山水画の描く山水画は大自然の造化の様を見事に表現し、後の中国文人画に多大な影響を与えました。
同世代の画家で正統な宮廷画家の一人である王原祁は石濤を「大江南以第一(江南地方で一番)」と絶賛しています。