高浜虚子作品の買取について
藝品館では高浜虚子作品の買取査定を行っております。
高浜虚子の書や掛軸・短冊、関連の骨董品・美術品
等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。
高浜虚子という人物
高浜虚子 (たかはまきょし 1874-1959) は明治から活躍した著名俳人で、現在の愛媛県の松山市に生まれました。
1888年、伊予尋常中学校学内での親友であった河東碧梧桐とともに同郷の俳人である正岡子規の弟子入りします、その後愛媛で学び、師である子規から虚子の雅号を譲り受け以後愛用します。
1902年に子規が亡くなると、学び舎を共にした碧梧桐は伝統的な独自の新傾向の俳句を詠み始めます。これを見た虚子は、大きく自身の新たな俳句感、思想感を再認識します。彼を中心に発行された文芸雑誌『ホトトギス』はますます著名になり、当時の俳句界で大きな影響力を持つまで成長します。
虚子は子規の没したあとも彼の唱えた「写生」という考え方を信じて尊重し、旧友が新たな俳句の形を作る中も自分自身が子規の教えを引き継がなければならないと強く感じ、自身を「守旧派」と宣言し碧梧桐とは違った本来の伝統的であり子規の教えにもあった伝統俳句を詠みます。
これにより俳句の詠み方、五七五調の形式、余韻のとり方においても大きく碧梧桐とは対立しました。掛け軸や扁額などでも多く虚子の作品は残っていますが、柔らかい筆致で詠まれた故郷の俳句などは石碑にある代表的なものも含め20万句以上に達し、多種多様な俳句は虚子全集にもなっています。
虚子の故郷である愛媛県松山市の実家の眺めを詠んだ、ノスタルジアな句で遠山に日の当たりたる枯野かな
という有名な句があります、これは寒い季節も終わり新たな春が来る、友人との別れ碧梧桐との思想の対立から離れていく友情、しかし元通りにもなりたい思いもあり、当時の思い出を回顧しつつ詠んだくでしょうか。
1954年には長年の功績から文化勲章を受賞します。
地元愛媛県松山市では、道後温泉を中心に虚子と交友を持った文豪とともに作品が展示されています。
高浜虚子の作品は現在となっても俳句の書の掛け軸や短冊など多くが残っており、日本の近代文学を語る上では必至です。俳句が重んじられている地域ではやはり虚子の功績は大きく、当館で愛媛県内で買取する掛け軸には必ずと行っていいほど、作品が何らかの形であります。