仙厓義梵作品の買取について

藝品館では仙厓義梵作品の買取査定を行っております。
仙厓義梵の禅画・水墨画など書画・日本画・絵画掛軸等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

仙厓義梵という人物

仙厓義梵 (せんがいぎぼん 1750-1837) は江戸時代後期に活躍した禅僧の画家です。

義梵は、美濃国(現在の岐阜県)に生まれました。宝暦10年(1760年)10歳の頃に、美濃の清泰寺で臨済宗の僧として出家し、その後、神奈川県にある東輝庵で月船禅彗に師事します。
32歳になると東輝庵を出て諸国行脚の旅へと出ました。そして、38歳の時には、福岡県の聖福寺の住持に承認されて、22年間住持を務めました。絵画は、この住職時代にあたる40台後半から本格的に描き始めたとされています。うらめしや わが隠れ家は 雪隠か 来る人ごとに 紙おいてゆくという歌が残っており、義梵の作品が庶民に親しまれて揮毫の依頼が絶えなかったことが分かっています。

また、絵と共に狂歌も多く読んでおり、その諧謔な人間性が現在にも伝えられています。「仙厓和尚」や「仙厓さん」と呼ばれて親しまれています。

仙厓義梵の作風

義梵の作品は、ユーモアにあふれ、軽妙洒脱に描かれた水墨画を得意としながら、それらの作品は、禅の教訓などを画題としたものが多く残されています。

出光美術館蔵の指月布袋画賛は、子供達と戯れる布袋の様子がほのぼのとした情景で描かれています。水を多く含んだ薄く淡い墨の筆致によって、柔らかく人物が表されています。一方で、月を暗示する賛文から、禅の根本と説いた教訓「指月布袋」であることが分かります。この教訓は、月が遥か天空にあるように、禅の悟りが学習によっては容易に会得できず、厳しい修行を必要とするというものです。老人六歌仙画賛も、老人たちが「老い」を謳歌する指南として表現されています。
また、同様に出光美術館蔵の〇△□は、非常にシンプルな作品です。枯淡な墨によって描かれた〇△□の図は、最も難解な作品とされています。悟道の境地に至る修行や大宇宙などを図示していると考えられていますが、諸説あります。