内藤湖南作品の買取について

藝品館では内藤湖南作品の買取査定を行っております。
内藤湖南の書画・掛軸等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

内藤湖南という人物

内藤湖南 (ないとうこなん 1866-1934)は秋田県出身の東洋史学者です。湖南は号であり、本名は虎次郎といいます。

幼少の頃から漢学に親しんだ内藤湖南は、秋田師範学校を卒業後に上京し大阪朝日新聞等の編集・論説を行いました。1907年から京都帝国大学史学科で東洋史を担当し、教授となります。
京都帝国大学に教員として採用の際には中国の歴史に関する研究者として認められていましたが、秋田師範学校は当時大学として扱われておらず、京都帝国大学の教員として採用する際にも大学卒業者ではないことが問題となりましたが、湖南がそれを凌駕するほどの功績を当時残してきたことによって教員採用となりました。

内藤湖南の研究は東洋史、特に中国の歴史に精通しており、生前は中国を何度も訪問し各地の名所旧跡の調査を行う一方、中国の政治家や官僚・ジャーナリストらとも交流し、当時の中国の成り立ちに関する研究も行っています。
著書にも中国の歴史に関する研究に関するものが多く、支那絵画史支那論など中国の歴史の細部まで考察し、辛亥革命以後の民主国家中華民国の成立や、宋代からすでに中国は近世となっていた等の学説を発表していますが、異論もあり現在でも議論の対象となっています。また、日本の歴史に関する考察については「応仁の乱について」と題した短い文章に、日本の歴史の見方を変えるほどのインパクトを持ったものとなっております。
豊富な知識と慎重な学説の積み重ねによる説得力のある論説は、現代における日本、中国の歴史研究においても重要な位置づけがされています。

晩年の湖南は定年で京都帝国大学を退官したのち、京都府木津川市の恭仁山荘にて本を読み本を著し過ごしました。