左宗棠作品の買取について

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左宗棠という人物

左宗棠 (さそうとう 1812-1885) は晩清の軍人・政治家です。
湖南省湘陰県生まれ、字は季高、朴存。号は湘上農人。
西洋の長所を取り入れ富国強兵を図る洋務運動を代表する人物であり、曽国藩・李鴻章・張之洞と共に晩清中興の四大名臣の一人です。
特に太平天国の乱の平定や、ロシアとの国境確定に功績があり民族的な英雄として高い人気があります。

若い頃から大志を抱き勉学に励むも科挙の試験には3度落第した左宗棠は、友人の胡林翼の仲介でアヘン撲滅運動の推進派で欽差大臣の林則徐と面談する機会を得、その才が認められ太平天国軍鎮圧の指揮を執ることになります。

1864年、14年の歳月を費やし太平天国の乱を鎮圧。
この時イギリスとフランスの軍の力を借り、戦艦など両国軍の装備の威力や軍事力の違いを痛感。曽国藩や李鴻章ら共に洋務運動を推進し、福州にフランスの軍事技術者を採用した馬尾船政局を設立して西洋式の戦艦の製造を行うなど軍事力の強化に邁進しました。
しかし、太平天国の乱に触発され中国西北地区で回族を中心とした大規模反乱が起こると、1866年よりその鎮圧に当たります。

1877年に西北部及び清朝の影響力が弱体化していた新疆地区を平定。事実上ロシアの支配下にあったイリ地方を三方面に軍を派遣して威嚇し、1881年ロシアとイリ条約を締結してイリ地方を奪回しました。さらにロシアとの国境線を画定し、1884年に新疆省を設置しました。
また所属が曖昧だった台湾に軍を派兵して1885年に台湾省を設立、正式に清の支配下に置きました。
帰途、福州で病を発し没。死後、光緒帝から三公の一つである太傅の地位と「文譲」の諡が与えられ、その北京の昭忠祠、賢良祠に祀られました。

左宗棠の書

左宗棠は若い頃から自らを三国時代の蜀の名相・諸葛亮に準えており、「今亮」と称していました。その軍事的な才はもとより、忠国の士という志も諸葛亮と同じでありました。
彼は「身無半畝心憂天下、読破万巻神交古人(自分の身を養うため半畝程度の畑しかない身分であっても常に天下の憂い、万巻の書物を読破して勉学に励み、古の人々と心を交わさなければならない)」を家訓として、子弟に書いて渡していたと言われています。


楷書で書かれるその書は中国も名書法家に比べれば稚拙でありますが、科挙を目指していただけあり基本に忠実で、その書からは左宗棠の実直で堅強な心を伺い知ることができます。

憂国の士である左宗棠の書は、現在も中国国内で大変人気が高いです。