広瀬臺山作品の買取について

藝品館では広瀬臺山作品の買取査定を行っております。
広瀬臺山の書画・日本画・絵画掛軸屏風等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

広瀬臺山「日金山頂望富嶽図」

広瀬臺山「日金山頂望富嶽図」(東京国立博物館蔵)
出典: ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

広瀬臺山という人物

広瀬臺山 (ひろせたいざん 1751-1813) は江戸時代に岡山江戸などで活躍した文人画家です。
号はほかに書画斎、白雲窩など。

1751年に大阪で大阪詰めの津山藩士の家に生まれた広瀬臺山は、16歳で大阪の池大雅の高弟である文人画家・福原五岳に師事して文人画を学びます。
1775年に家族を連れて、津山に帰りますが、1781年には江戸での勤務を申し渡されます。以降江戸で御留守居役や指南役を務めるなど重臣としての働きを見せています。その傍ら江戸周辺の文人たちと交流を深め、伊勢長島藩第5代藩主の増山正賢(増山雪斎)、文人画家の谷文晁、漢詩人の大窪詩仏、画僧の雲室などの幅広い層の人々と親交しました。
1804年頃に隠居し、江戸での作品数も増えますが、還暦を迎えた頃に弟を頼って津山に戻りました。その際、交流のあった人々から多くの書画が送られています。

広瀬臺山の作風

八種画譜芥子園画伝 などの中国の画伝書に学んだ広瀬臺山は、忠実で生真面目とも取れるような南画を描きました。
日金山頂望富嶽図 (東京国立博物館蔵)では駿河の地で遊んだのか、霊山である日金山から富士山を眺め、箱根外輪山の峰々を中央に配して相模湾、駿河湾をパノラマの真景で描きます。描かれた山々の線は細く均等に重ねられ、非常に実直で清明な画面となっています。
時には狩野派や浮世絵などにも興味を引かれたのか 滝見美人図 (岡山県立美術館蔵)のような狩野派の山水に肉筆浮世絵のような派手な美人を描くなど、南画だけではない画技も持っていたようです。