成親王/永瑆/皇十一子作品の買取について
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成親王という人物
成親王/永瑆/皇十一子 (せいしんのう/えいせい/こうじゅういっし 1752-1823) は清朝第六代乾隆帝の第十一皇子で書法家です。撥鐙法という書法を創作し、翁方綱、劉墉、鉄保と共に「乾隆四家」と呼ばれています。
本名は愛新覚羅永瑆、号は少厂、鏡泉、詒晋斉主人。生母は淑嘉皇貴妃金佳氏、乾隆帝の跡を継ぐ嘉慶帝とは異母兄に当たります。
永瑆は幼少の頃より書を好み、王羲之をはじめとした中国歴代の名書家の真蹟や拓本を集めた乾隆帝の書斎「三希堂」に籠って歴代の名作を臨摸して書の腕を磨きました。乾隆帝は永瑆の書の才能を愛し、1789年に和碩成親王に封じました。「成」は満州語で「有能、有才」を意味しています。
1795年、宮中を出て紫禁城北側にある後海北岸に居を移しました。乾隆帝が崩御し嘉慶帝が実権を握ると、朝廷の最高意思決定機関である軍機処を担当し、戸籍や財務などを統括するようになります。親王が軍機処を統括するのは成親王が初めてでした。
1819年、宮廷祭祀中に礼法で過失を犯し減俸。さらに老齢で病気が多くなったため朝廷に出仕しなくてもよい許可が下され、以後は自宅内で過ごすようになります。1823年、没。享年72歳。
死後、哲と諡され、成哲親王となりました。蔵書家とし宋、現代の書画、書籍を多数集め書法の研究を行っていたことでも知られています。
成親王の書
成親王は清朝276年の歴史上、傑出した皇族書法家として知られています。彼の審美性は宋の徽宗皇帝に匹敵すると言われ、また武道も優れていたので皇帝となってもおかしくはない逸材でした。
成親王は楷書、行書、草書、並びに隷書ともに優れ、これらの書体は魏晋から明代までの歴代の名書法家の法帳をひたすら臨摸することで養われました。そのため成親王は帳学派に分類されています。
特に楷書に優れ、宋末元書の名書法家として知られる趙孟頫を手本としています。趙孟頫は父の乾隆帝がこよなく愛した芸術家の一人であり、成親王は乾隆帝を喜ばせるため趙孟頫の法帳を30年間も臨摸し続け、遂に成親王は趙孟頫の楷書と見分けがつかないほどそっくりに書けるようになったと言われています。
また楷書は欧陽恂、王羲之、王献之の書体も得意としています。
成親王の書は北京の宮廷跡や公園など石碑や拓本として現在でも飾られ鑑賞することができます。