林散之作品の買取について

藝品館では林散之作品の買取査定を行っております。
林散之の書画・掛軸・詩巻等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。
経験豊富なスタッフや中国美術専門家が責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

林散之と詩書画

林散之 (りんさんし 1898-1989) は中国の詩人・書画家です。
名を霖、以霖。字を散之、号を三痴、左耳、江上老人等。
林散之は江蘇省南京市に農家の家に生まれました。貧しいながらも、比較的よい教育を受けたと伝えられています。
32歳で上海に引っ越すと、山水画家・黄賓虹に師事します。林散之は教師を生業としながら画を描き、仏教や武術も学びました。1947年に画家として人気が出始めると、合肥工業大学の教授に抜擢され、美術と文学を教えます。

1949年に毛沢東の時代が始まると、はじめは下級官僚を、のちに副市長を務めるなど、政治でも活躍をしました。1959年に政界から引退すると、再度美術の道へもどり、南京大学で教鞭をとります。そして自身の制作では、独自の草書を展開させます。

文化革命の時代には、林散之もまた、紅衛兵から迫害を受け、多くの作品を破壊されました。さらに同じころ妻を亡くし、書を教えながら中国各地を転々とする日々を送ります。
1969年に息子と暮らすために故郷に帰るものの、銭湯で火傷し右手の3本の指が使えなくなってしまうという事故にみまわれます。この事故によって林散之は、それまでの流れるような書は描けなくなったものの、素朴で純真な姿の書を制作するようになります。そして、その長く細い、ときおり乾いたような筆致の書風が、林散之の書として広まることになります。

晩年の林散之は、1972年の中日書道交流選抜を機に高く評価され、趙朴初、啓功などとともに『詩書画現代三絶』と称されました。そして現在でも、その評価は変わらず国内外で尊敬されています。