祇園南海作品の買取について

藝品館では祇園南海作品の買取査定を行っております。
祇園南海の山水画や花鳥画などの文人画・日本画・絵画掛軸等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

祇園南海という人物

祇園南海 (ぎおんなんかい 1676-1751) は、江戸時代中期の文人画家です。
紀伊藩(現在の和歌山県)の医者であった祇園順庵の長男として江戸に生まれました。若くから詩文に優れ、22歳の時に父の後を継いで紀伊藩に仕えて和歌山へと移ります。
しかし、後に城下追放となり、謹慎生活を送ることになりました。後に「正徳の治」と呼ばれる政治改革を行った新井白石の働きかけによって朝鮮通信使の応接役に抜擢されます。宝永七年(1710年)には赦免となり、紀伊藩へと戻り、儒学者として藩校の教官なども務めました。

こうした南海の活躍は、後に桑山玉洲、野呂介石と共に紀州三大南画家と称されました。
また、後に文人画の大家となる池大雅の才能を認め、作品を絶賛したと伝えられています。大和郡山藩の重臣で花卉画を得意とした柳沢淇園、名古屋で俳画を得意とした彭城百川と並び、こうした南海の活躍は、後の文人画の礎を築きました。

祇園南海の画風

南海は、文人画の中でも特に山水画を得意としました。
和歌山市立博物館蔵の冬景山水図は、そうした山水画の一つです。手前の精細な人物と水辺の筆致と淡い墨によって表現された遠景の山々が、白い余白による遠近感によって幽玄な雰囲気を与えています。個人蔵の天台石橋図は、隆々たる山々の連峰が俯瞰された景観から描かれており、その雄大さが表現されています。
これらの作品は、当時の絵の教科書でもあった中国明代の『八種画譜』などを典拠としながら描かれています。

また、書や繊細な花鳥画も多く残しており、詩書画一致の姿勢を示しています。
和歌山県立博物館蔵の七絶詩書は、南海唯一の重要文化財です。洒脱でスピード感のある行書体によって、山中の情景など自作詩を書いています。