蒋介石/蒋中正作品の買取について

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蒋介石という人物

蒋介石/蒋中正 (蔣介石/蔣中正/しょうかいせき/しょうちゅうせい 1887-1975) は中国近代の政治家、軍人です。
浙江省奉化県生まれ。幼名は瑞元。学名は志清、後改めて中正と名乗りました。介石は字です。
蒋介石の父は塩の販売をしていましたが幼少期に死去。母の手で育てられ、私塾で中国伝統の学問を学びます。
1906年、日本に留学。そこで反清思想の影響を受けます。一時帰国後1908年に日本に渡り東京振武学校に入学、日本陸軍第13師団19連隊士官候補生となります。また孫文に共鳴し中国同盟会に加入。

1911年、辛亥革命が起こると帰国し、孫文の右腕・陳其美と共に杭州で軍務に当たりました。1916年、陳其美が暗殺されると中華革命軍北東軍参謀長に昇格。
1917年、孫文が広州に中華民国軍政府を樹立。広東軍総司令部に招聘されるも内紛で孫文と共に離脱。1923年、孫文が中華民国軍政府を奪回すると、広東軍大元帥に就任。同年、孫文と共にソ連を訪れ協力を取り付けるものの、共産主義に警戒を抱くこととなります。

1925年、孫文病死後に権力を掌握。北伐を開始し1927年、中国を再統一しました。1931年、満州事変が勃発。日本は満州国を建国しましたが蒋介石は黙認。中国共産党との戦いを優先しました。
1937年、盧溝橋事件を端に日中戦争に突入。蒋介石はやむを得ず中国共産党と組み日本と戦うことになります。1945年、第二次世界大戦が終結すると国共内戦に突入。
1949年、中国共産党との戦いに敗れ台湾に遷都。以後大陸への反攻を試みましたが1975年、肺炎により逝去しました。

蒋介石の書

蒋介石と言えば南京に避難させていた紫禁城の宝物60万点、実に9割以上を台湾に持ち去ったことで有名です。

蒋介石の書は楷書が多く、行書や草書は極めて少ないです。蒋介石は幼少から中国伝統の学問を学び、楷書は唐の書法家柳公権や欧陽恂を手本とし、晩年は元の趙孟頫を参考に書きました。
書体は端正でメリハリがあり、筆致は力強く厳密。書風から保守的な蒋介石の気骨な様が感じられます。

台湾に渡った蒋介石は自らを「中国四千年の道徳の体現者」と自負しており、文化的に中国本土とは異なる台湾人に中華思想を押し付ける一面もありました。
そのため中国本土で利便性から漢字を改変させた簡体字の使用を台湾では否定、中華思想の根源である繁体字を使い続けさたため結果的に漢字文化の保護には功績があったと言えます。