浦上玉堂作品の買取について

藝品館では浦上玉堂作品の買取査定を行っております。
浦上玉堂の山水画などの日本画・絵画掛軸屏風等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

浦上玉堂「東雲篩雪図」

浦上玉堂「東雲篩雪図」(国宝/川端康成記念会)

浦上玉堂という人物

浦上玉堂 (うらかみぎょくどう 1745-1820) は江戸時代後期に活躍した岡山出身の文人画家です。
玉堂は岡山藩の武家である鴨方藩士の家に生まれ、宝暦元年(1751年)に父が亡くなると7歳で家督を継ぎました。16歳になると藩主の側近として公務へと従事し昇進を果す一方、儒学や医学など様々な学問へと傾倒し、七絃琴の名手としても聞こえました。特に琴は、演奏家としてだけでなく作曲家、造琴家としても活躍しました。

しかしながら、文人生活へと傾倒する余り43歳の時に左遷され、50歳の時には職を辞して、息子の浦上春琴・秋琴と共に脱藩しました。脱藩後は十数年にわたって全国を遊歴し、晩年には京都へと移り住みます。
玉堂は琴士である事を自負し、画作に向き合うようになったのは30代の半ばを過ぎてからのことです。しかしながら、その腕前は無類であり、孤高の画家として活躍しました。玉堂が文政3年(1820年)に亡くなってからは、京都嵯峨野にある法輪寺境内において碑が建てられました。

浦上玉堂の画風

浦上玉堂は文人画の中でも特に水墨山水画を得意としました。しかし、その作風は当代随一であり、孤高の画家であったと考えられます。

玉堂の代表作として名高いのは、川端康成記念館蔵の国宝東雲篩雪図です。雪中の山奥の寂寞とした風景を描いています。画面下部へと描かれた小さい人物と雪山の覆うような大きさが対照的であり、その大きさを実感させます。そして、伝統的には「外隈」と言われる技法とは異なり、墨と胡粉を用いて鬱蒼とした重厚感のある雪山を表現する一方、細かな墨の線によって霞む情景が細やかに表現されています。文豪の川端康成の愛蔵品でもあり、彼の文学作品の情景をも想起させます。
この他にも60歳代後期の作である岡山県立美術館蔵の山高水長図愛知県美術館蔵の山紅於染図があります。