六古窯の買取について

六古窯買取は藝品館へおまかせください。

六古窯に上げられるのは瀬戸焼(愛知県)・常滑焼(愛知県)・越前焼(福井県)・信楽焼(滋賀県)・丹波立杭焼(兵庫県)・備前焼(岡山県)の6カ所です。これらの窯は平安時代から鎌倉時代に掛けて自然発生的に地域産業として興り、現在も続いています。
これらの地域は陶器を焼くための良質な土と燃料となる樹木が豊富にあり、主に素焼きで壺や甕など生活雑器を生産していました。

六古窯の買取や鑑定査定はご気軽にご相談ください。

六古窯とは

六古窯と呼ばれる陶器の窯場があります。
日本全国各地にはそれぞれ特色ある陶磁器産地が存在しますが、その中で古代から続く窯場と近世に秀吉の朝鮮出兵の際に各地の大名が連れ帰った朝鮮陶工によって開発された窯場に大別されます。
この考えは戦前から戦後にかけて東洋陶磁器研究家として活躍し、自らも陶芸作家であった小山富士夫によって提唱されました。ちなみに小山富士夫は戦後文化財保護委員会の重鎮として現在の重要無形文化財(人間国宝)制度の制定や貴重な文化財の保護活動、日本陶磁学会や日本工芸会設立に尽力し、今日の日本の伝統工芸の継承や発展に多大な貢献をしています。

須恵器と呼ばれる陶器は日本全国で焼かれていましたが、六古窯は全国に先駆けて高温焼成に成功しており、他の地区の陶器より頑丈で壊れにくいという特徴を持っていました。
また越前焼を除き、安土桃山時代に茶の湯が流行するとこれらの地区で盛んに茶器が生産され、この時代に作られた陶器製の茶器は茶人の間で「桃山陶」と呼ばれ珍重され、大正から昭和にかけて起こった桃山陶ブームの火付け役になりました。

小山富士夫もその火付けに一役買っています。
当時の日本人の文人の間では西洋美術に対する日本美術のあり方について喧々諤々の議論が展開されていました。そこで注目を浴びたのが桃山時代の芸術や文化です。
陶芸の分野では川喜田半泥子を中心とした「からひね会」、柳宗悦が興した民芸運動、また北大路魯山人も独自の観点から桃山陶の研究と復興を試みました。小山富士夫は当時中国をはじめとした東洋陶磁器の研究家として全国的に名を知られる存在で、著作も多数出版しその言動は非常に強い影響力を持っていました。
彼は古陶研究家の立場から日本で古い歴史を持つ「六古窯」を紹介します。そして日本人の古陶への関心を一気に高めました。

戦後日本の古陶の研究が進むと、六古窯以外にも古い歴史がある窯があちらこちらにあることが分かってきます。
しかし「六古窯」という響きが非常に良いため、この言葉が独り歩きしだします。
また小山富士夫らによって整備された重要無形文化財制度で民芸運動に参加していた浜田庄司が人間国宝に指定されると、民芸的な雰囲気を持つ六古窯の陶器が人々の注目を浴びるようになりました。そんな中、六古窯の備前焼から金重陶陽や山本陶秀、瀬戸焼から荒川豊蔵、常滑焼から三代山田常山といった人間国宝を続々輩出。名実共に日本を代表する窯場として名声を得るに至ったのです。

現在も六古窯は無釉焼き締めによる昔ながらの陶器生産が盛んです。これらの陶器は桃山時代の侘び寂びの世界を体現し、素朴な味わいがあります。
現在も多くの作家や職人たちが日々研鑽に励み、六古窯の伝統を引き継いでいます。