軍刀の買取について
軍刀の買取は藝品館へおまかせください。
蔵やご自宅を整理していて軍刀の類が出てきたがどうしたらよいかわからない等、軍刀の鑑定・買取査定のご依頼・ご相談はどうぞ藝品館までお申し付けください。
軍刀は旧日本軍が使用した軍備用の刀です。時代により変遷がありますが、基本的には日本刀の延長上にあります。
写真送付による査定も行っております。
藝品館の査定員が買取査定価格をお伝えいたします。携帯電話による撮影写真で十分ですので、どうぞお気軽にご送付ください。
なお軍刀の買取・所持には銃砲刀剣類登録証が必要となります。見当たらない場合は警察への発見届け、各都道府県教育委員会への登録証申請をお願いいたします。
銃砲刀剣類登録証について
鑑定・買取査定のご依頼を心よりお待ちしております。
軍刀とは
明治維新後、明治政府は最高指揮官である天皇を頂点とした西洋式の軍制を制定し、陸軍と海軍の整備を行います。
明治9年、将校が佩刀する刀も西洋式のサーベルとすることが決定します。また同年に廃刀令も公布され日本刀の帯刀、製造が禁止されます。
その翌年西南戦争が勃発、官軍より兵器が劣っている反政府軍と官軍の死者がほぼ同じという結果に、改めた反政府軍が使っていた日本刀が見直されます。ただし、基本的に正式な場はサーベルが用いられ、兵士たちの間では日本刀は兵仗として使われます。
昭和24年にスウェーデン鋼と和鋼を合わせ切れ味鋭い村田刀が誕生し、軍刀の刀身として使われました。
日清、日露戦争では多くの日本刀が海外で使われ消費してしまいます。廃刀令で新たに日本刀が作れない一方で、高炭素鋼を用いる日本刀が極寒の地では折れやすいという欠点を露呈します。
日本刀の刀匠は民間に残っておらず、軍は靖国神社に日本刀鍛錬会を設立し刀匠を育てる一方、実践本意の刀の製作の研究を行います。こうして昭和9年、日本刀の陣立拵を参考に九四式軍刀が製作されます。
刀身はサーベルから日本刀へ、腰紐を通す佩鐶は2つ、鞘は鉄製が多く木やアルミなども用いられています。
昭和13年には新たに九八式軍刀が採用されます。佩鐶は1つに、刀身には大量生産を行うため一部を機械で鍛えた刀が用いられるようになります。
また極寒に強い振武刀の開発にも成功します。さらに軍の需要が拡大すると、完全に流れ作業と機械化で大量生産する満鉄刀も刀身に使われるようになります。
一方で上級将校には日本刀鍛錬会の刀匠が古式に法り製作した俗に靖国刀と呼ばれる刀身が支給されます。これらは美術刀剣として価値の高いものも少なくありません。
昭和18年、戦争が長期化するとさらに改良を加えた三式軍刀が登場します。
これは外装が簡略化され、柄と刀身を結ぶ目貫を2カ所、さらに柄巻を一貫巻に。鮫皮に漆を施して柄が戦闘中に壊れないような工夫がなされています。またこの頃の軍刀は特殊鋼刀が大半を占めます
昭和19年頃になると物資が不足するようになり、軍刀に使われる鉄も廃材が使われるようになり徐々に質が低下します。
この様に昭和初期に軍主導で作られた刀身をひとくくりに昭和刀と呼ばれることがありますが、その造りは千差万別で古式に法り作った刀でも刀匠の力が劣っていれば切れず、逆に機械で鍛錬されたものの中には古刀よりもはるかに切れる刀も存在ししています。もともと刀は武器として発展してきたため、軍刀としての研究開発で様々な科学的な検証が行われたのも事実です。
ただし現在は美術鑑賞以外での刀剣類の所持は法律上禁止されているため、軍刀であっても美術的な美しさが求められます。