加山又造作品の買取について

藝品館では加山又造作品の買取査定を行っております。
加山又造の日本画・絵画・版画等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

加山又造という人物

加山又造 (かやままたぞう 1927-2004) は戦後から平成に掛けて活躍した日本画家、版画家です。
革新的な日本画家として新制作協会日本画部を中心に活躍し、装飾美術家として日本よりも海外で高く評価されています。

昭和2年、京都市上条区生まれ。父は西陣織衣装の図案家で、祖父は四条円山派、京狩野派に学んだ絵師でした。
1944年(昭和19年)、京都市立美術工芸学校絵画科終了後、東京美術学校日本画科に入学も翌年の学徒動員で学業を中断し、岩国に赴任。復員後、1949年に東京美術学校を卒業しました。
当時の日本画界は日本画の今後の在り方について混乱期にあり、又造は日本画革新運動の指導者として知られた山本丘人に師事、丘人が結成した創造美術第二回展に出品するも落選。1950年(昭和25年)に創造美術研究会に参加し、同年の創造美術展出品の自画像動物園が初入選、また研究会賞受賞。

翌年、第15回新制作展でラスコー洞窟壁画に触発されて描いた原始時代が新作家賞受賞、同協会協友に推挙されました。その後もシュルレアリスムや未来派など当時のヨーロッパの手法を貪欲に吸収した作品を展開し、1953年(昭和28年)、第17回展月と犀等四点、翌年も悲しき鹿迷える鹿が新作家賞受賞。同年、画家集団の「ひこばゆ」結成。1955年(昭和30年)、駈けるが新作家賞受賞を受賞し、翌年新制作協会会員となりました。
1957年(昭和32年)、日本国際美術展佳作。1958年(昭和33年)、第2回グッゲンハイム賞国際美術展で特別褒状受賞。洋画家の川端実、山口長男らと共に団体賞を受賞したこの頃、日本画や工芸の金装飾技法である截金を縣治朗から習います。
1959年(昭和34年)、日本画家の石本正、横山操らと「轟会」を結成。1960年(昭和35年)、東京国立近代美術館「日本画の新世紀」展出品。

1961年(昭和36年)、第25回新制作展出品火の鳥から大画面の装飾画へと移行、琳派や大和絵の技法を駆使し、現代的な解釈を加えた作品を展開してゆき、1973年(昭和48年)には日本芸術大賞受賞。翌年、創画会発足と共に会員となります。
1978年(昭和53年)、8年の歳月を掛け東京国立近代美術館の吹き抜けを飾る雪・月・花を完成させ、「現代の琳派」として世間の注目を浴びる一方、70年代は線描による裸婦画も手掛け、さらに70年代末からは北宋時代の山水画に私淑し、エアブラシなども駆使した水墨画を展開しました

。1980年(昭和55年)、前年の第6回創画会出品の月光波濤が芸術選奨で文部大臣賞受賞。1982年(昭和57年)、美術文化振興協会賞受賞。1984年(昭和59年)、身延山久遠寺本堂天井画墨龍制作。
また工芸的なデザインにも挑戦し、平成2年、BMW社よりアート・カー制作、平成4年、新東京国際空港第二旅客ターミナル陶板壁画原画制作なども行いました。
1997年(平成9年)、文化功労者表彰。同年、臨済宗大本山天龍寺法堂の天井画雲龍制作。1999年(平成11年)、井上靖文化賞受章。東京国立近代美術館で回顧展開催。2003年、文化勲章受章。2004年、肺炎により逝去。享年76歳。
後進の育成にも尽力し、1966年から73年、77年から88年は多摩美術大学で、1988年から95年までは東京美術大学で教鞭を執っておられました。

従来の固定観念にとらわれず、直感で常に新しい芸術追求し続けた加山又造の作品は誰が見ても美しいと感じさせる普遍的な美を内包し、戦後の日本画壇に大きな影響を与えました。