加納夏雄作品の買取について

藝品館では加納夏雄作品の買取査定を行っております。
加納夏雄の鍔や小柄などの刀装具・煙草入れ・根付等の金工作品の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

加納夏雄という人物

加納夏雄 (かとうなつお 1828-1898)は幕末から明治の京都府出身の金工家です。

京都市中京区の米屋・伏見屋に生まれた夏雄(幼名:治三郎)は7歳の時に刀剣商の加納治助の養子になったことで、金物や彫金に自然と親しんでいきました。彫金師の下で修行を積み、19歳で独立し1854年に江戸に移ります。
幕末期に武士や貴族の間で刀剣が宝飾品として使用されていたこともあり、金工技術の非常に評価が高かった加納夏雄は、明治時代に入っても皇室御用の太刀飾りの担当を行いました。
しかし1876年の明治政府の廃刀令により武士の帯刀が禁じられたために、金工職人たちは刀剣以外の需要を見つける必要が出てきました。その際も夏雄は明治政府から新貨幣の鋳造技術の責任者に任命され、現在の財務省造幣局での行われている硬貨の雛形政策や金属への打印などの基礎技術の開発に尽力しました。

指導者としても東京藝術大学の彫金科の初代教授に就任するなど、彫金技術や工芸品の制作による後進の育成にも努め、彫金技術の追及のみならず、刀剣の鏨を美術品へと昇華した加藤夏雄の高い技術力は現在でも国内外問わずファンが多く、時代を超えて愛されています。
特に精巧に作られた彫金がバランスよく配置された鏨は、日本の彫金技術のレベルの高さを世界に示すものとなり、加納夏雄は当時世界でトップクラスの金工師だったといっても過言ではありません。

刀剣の鏨から、新政府の硬貨の生産まで、幅広い応用と高い技術力で日本や世界を驚かせた加納夏雄の彫金技術は現在も多くの門人や硬貨製造の技術として受け継がれています。