宮本武蔵/二天作品の買取について

藝品館では宮本武蔵作品の買取査定を行っております。
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宮本武蔵という人物

宮本武蔵/二天 (みやもとむさし/にてん 1584?-1645) は室町時代から江戸時代にかけて活躍した言わずとしれた剣豪であり、また芸術家でもあります。

宮本武蔵のエピソードは後世の創作もあり、多くは判明していません。生誕は1584年頃に現在の岡山県美作市で、赤松氏の一族である新免家に生まれたとされているものと、 兵庫の播磨にて生まれたとされるものがあります。
幼少期から剣道を学び、豊前国の黒田家に仕え、関ヶ原の戦いの前哨戦である石垣原の戦いでは東軍として戦ったとされています。また大阪の陣では流浪の身であった水野勝成の客将として活躍しています。大阪の陣の後は姫路に赴き、姫路城西の丸の造営に関わり、姫路藩主・本多家の剣術指南も行ったとされます。
1638年には反幕府を掲げた島原の乱にて、小笠原藩の家老となっていた養子の伊織と共に、小笠原藩軍の軍監として出陣して成果を上げました。1640年に熊本藩主の細川忠利の知遇を受け、 熊本に移り住み、晩年にしてようやく安住の地を得ています。ここでは剣技の指導を行うとともに、余暇があれば書画、諸芸、執筆にふけりました。有名な兵法書である 五輪書 も熊本の霊厳洞にて記されたとされています。
武蔵には13歳から60数回行った決闘に全て勝利した、という伝説が残りますが、最も有名なものは山口県の巌流島(船島)で行われたとされる佐々木小次郎との決闘です。この決闘はもちろん、武蔵の活躍は後世に脚色され芝居、浄瑠璃、浪曲、浮世絵、小説、映画などの格好の題材となっています。

宮本武蔵の作風

宮本武蔵は二天一流と呼ばれる二刀流の剣術を生み出しただけでなく、二天の号で芸術の才も発揮しています。画には同じ武人画家である海北友松からの影響が見られ、南宋の梁楷のように減筆体を用います。若描きとされる作品では京都観智院鷲図 竹林図 を描きました。晩年には重要文化財 紙本墨画枯木鳴鵙図 (和泉市久保惣記念美術館蔵)や重要文化財 紙本墨画紅梅鳩図 竹林紙本墨画鵜図図 (永青文庫蔵)を制作しました。職業絵師とは異なり画面の美しさではなく、次の瞬間を想起させる一瞬の緊張感を捉えた、禅画に近い武人の絵となっています。
また、晩年を過ごした熊本には熊本藩家老の松井家に伝わった、重厚な漆塗の馬具 黒漆金銅牡丹文鞍 があり、他にも鯉口を切りやすいようにデザインしたとされる 海鼠透鐔 が熊本県の重要文化財に指定されています。