寺崎広業作品の買取について

藝品館では寺崎広業作品の買取査定を行っております。
寺崎広業の美人画・人物画・山水図などの日本画・絵画掛軸屏風等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

寺崎広業という人物

寺崎広業 (てらさきこうぎょう 1866-1919) は日本画の世界で多方面にわたる影響を与えた画家であり、その業績は今日でも高く評価されています。彼は秋田県 秋田市に生まれ、幼い頃から画才を示しました。
寺崎広業は狩野派の小室秀俊に、また四条派の平福穂庵に師事しました。さらに南画家の菅原白龍からも多くを学び、多様な画法に習熟した非凡な画家です。秋田県内にも多くの展示収蔵がなされており、横手市赤坂にある秋田県立近代美術館には彼の作品が収蔵されています。

寺崎広業は、日本青年絵画協会や日本絵画協会などで活躍しました。彼の作品は多くの展覧会で評価され、数多くの賞を受賞しています。文展に出品した絵画は有名です。特にその技術的な高さと独自の美学が評価され、当時の日本画界に新しい風を吹き込みます。
さらに寺崎広業は、岡倉天心と共に日本美術院を創立しました。この動きは日本の美術界において非常に重要な出来事であり、日本美術の発展に大いに寄与しました。また、文展(文部省美術展覧会)開設にあたっては国画玉成会に参加し、審査員としてその品位と権威を確立しました。このような活動によって彼は東美校(後の東京藝術大学)の教授、日本美術協会会員、さらには帝室技芸員にまで任命されました。

寺崎広業が54歳で亡くなった時、多くの弟子と同業者、そして美術愛好者からその死が惜しまれました。しかし彼が生涯に残した作品と業績は、後の日本画界、特に教育と評価の体系に多大な影響を与えました。彼の死後も多くの弟子が彼の教えを受け継ぎ、多くの作品が今も伝わっています。

総じて、寺崎広業は日本画の歴史において欠かすことのできない重要な画家であり、その多方面にわたる貢献によって日本美術の発展に大いに寄与したと言えるでしょう。特に彼が関与した教育と展覧会の開催は、日本の美術が国際的に評価される土壌を作ったとも評されています。大正8年に没しましたが、その遺した業績は今日でも多くの人々によって学ばれています。