山本竹雲作品の買取について
藝品館では山本竹雲作品の買取査定を行っております。
山本竹雲の掛軸・屏風などの書画・日本画・絵画、ゆかりの煎茶道具等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。
山本竹雲という人物
山本竹雲 (やまもとちくうん 1826-1894) は幕末から明治期に活躍した岡山出身の篆刻家、文人画家、茶人です。
1826年に現在の岡山県倉敷市児島に生まれた山本竹雲は、20歳の時に煎茶の盛んな香川の高松に移住し、そこで漢学を篠崎小竹に、書画と篆刻を讃岐出身の書家、画家であり、天下一とされた篆刻家の細川林谷に学びました。また書は宋元の書にも私淑したとされます。
その後、兵庫や大阪に遊び、大阪の数寄者・藤江江雪から1872年に京都の御池柳馬場に家を貰い永住しました。京都では南画を売っては花街に遊び、篆刻印を売っては骨董を集める生活を行い、江馬天江、山中静逸などの文人や谷鐵臣などの元幕臣、多くの素封家、鳩居堂や玩古堂などの骨董商など広く交流を持ちました。
京都を拠点にして地方に度々出向いては、煎茶の弟子を取り、特に福井では文房流という煎茶道が生まれるほどの煎茶ブームの火付け役ともなりました。文房流は竹雲の元に福井風月楼の主人・吉川帰峰が文人趣味の士を集めて煎茶の指導を受けたのが始まりで、後に集った一人である久津見晴嵐やその弟子・姉崎素山が文房珍奇を愛で、投入花を行う煎茶道、華道としたのものです。
1894年に清水児ヶ池で入水し、没。入水前には煎茶を点てたと思われる道具が並んでいたとされます。
山本竹雲の画風
書画は花卉画、花鳥画を得意として人物、山水まで何でも能く書きました。花鳥画や動物画には吉祥の文物が入れられて、どれもめでたい雰囲気が感じられ、山水画は飄々とした山々を高く遠望な構図で描いています。人物画には滑稽さがあり京都で評判を呼びました。
書を上手としたことから篆刻も非常に得意としており、三条梨堂、松方海東、長三州、杉聴雨などの多くの政治家、文人の印を彫りました。
また多くの煎茶器を保有し鑑賞したことから、煎茶道具の鑑識眼にも長け、良いものには得意の書を持って箱書を書きつけています。篆字で題名を書き、細くも力強い行書で内容を記します。この竹雲の箱書のある煎茶道具は上物として現在でも非常に珍重されています。