柴田義董作品の買取について

藝品館では柴田義董作品の買取査定を行っております。
柴田義董の掛軸屏風などの書画・日本画・絵画の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

柴田義董という人物

柴田義董 (しばたぎとう 1780-1819) は江戸時代後期に岡山、京都で活躍した絵師です。

1780年に現在の岡山県瀬戸内市の廻船業の家に生まれた柴田義董は、15歳にして京都で四条派の呉春の門に入ります。若くして画技を極め、1800年代初め頃には松本景文、 岡本豊彦と並ぶ評判を得ています。
山水画や花鳥画など、どのような絵でも描きましたが、特に人物画を得意として、京の人々も「花鳥は景文、山水は豊彦、人物は義董」とうたいました。高度な技術を持って、手本や粉本を貯めずに記憶だけで繊細な絵を描き、将来を期待されましたが、1819年に40歳の若さで没しました。

柴田義董の画風

柴田義董は淡く淡麗で、精緻な筆法を持って作品の制作を行っています。代表的な作品である 西園雅集図 (岡山県立美術館蔵)では、岩や木が穏やかに描かれ、正確な人体の描写に淡い描線と彩色で庭に遊ぶ文人たちが金彩に彩られます。また美人画の作品には 妓女図 (岡山県立博物館蔵)があり、座り込む妓女を濃く強調して描き、背景の屏風には淡墨で繊細な百合が描かれ遠近が強調されるなど、どのような作品にも技巧が凝らされています。
京都で主に活躍しましたが、故郷の岡山でも軌跡を残します。倉敷市の蓮台寺の襖絵に花鳥画や山水画を多数描き、また板戸絵には濃彩で肥痩のある描線で 板戸著色牡丹に唐獅子図 を描いて、こなれた人物画を描くものとは一線を画すような、力強く迫力ある大作も制作しています。