郷倉和子作品の買取について

藝品館では郷倉和子作品の買取査定を行っております。
郷倉和子の花鳥画などの日本画・絵画掛軸屏風等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

郷倉和子という人物

郷倉和子 (ごうくらかずこ 1914-2016) は昭和から平成に掛けて主に院展で活躍した女流日本画家です。
父は日本芸術院会員の郷倉千靭で、父子で芸術院会員となりました。花鳥画を主とし、60歳の頃から描き始めた梅によってその名が知られております。

郷倉和子は1914年(大正3年)東京中谷に生まれ、父は和子が幼少の頃にはすでに日本芸術院賞を受賞しており、日展同人として活躍しておりました。
和子は父の画塾で絵に親しんでいたものの当初は普通に家庭に収まることを夢見ていましたが、高等女学校在学中に描いた絵が皇太后陛下への献上画に選抜されたことを契機に、画家になるとを志し、1935年(昭和10年)に女子美術学校を主席で卒業すると、翌年の第23回院展出品の八仙花が初入選。
1937年(昭和12年)日本画家の安田靫彦の火曜会に入会し師事し絵に心構えを教えられ、以後の和子の画業に影響を与えました。師は歴史画の大家でしたが、和子は花鳥画を選び写実的な画風の作品を院展に出品し続け入選を重ねていくことなります。

戦後、写生改めて習うため父の塾生となっていた前衛画家として知られる馬場不二に影響され、半写実的な画風に移行。
1957年(昭和32年)第42回院展出品昼顔が日本美術院賞受賞。また1960年(昭和35年)第45回院展出品花苑もまた日本芸術院賞受賞。これにより日本美術院同人に推挙。

1969年(昭和44年)片岡球子と共に女流美術家たちによる総合美術展「潮」を結成します。
しかし新しい画風の追求は止まらずシュルレアリスムの傾向が強くなり、1970年(昭和45年)第55回院展出品榕樹が文部大臣賞受賞。
1973年(昭和48年)新たな画風を模索するための欧州やアジア諸国を旅行で改めて日本の情景の美しさを再認識することとなり、以後は日本的なテーマに作風を模索していくことなります。

1975年(昭和50年)父が逝去すると、そのショックから一時期低迷するものの、毎年力強く美しく咲く梅の姿に感銘を覚え、以後作品に梅が多く描かれるようになります。
1984年(昭和59年)人工と自然の調和をテーマに掲げた第39回院展出品閑庭で内閣総理大臣賞。この作品にさり気なく梅が描かれておりますが、翌年以後は梅が主題として描かれるようになりました。
1990年(平成2年)前年の院展出品作品靜日が日本芸術院賞受賞。翌年、日本芸術院監事選任。1992年(平成4年)勲四等宝冠章受章。1997年(平成9年)日本芸術院会員となり、翌年、浄土宗大本山僧上寺会館、大広間天井画制作。2002年(平成14年)、文化功労者表彰。
2013年(平成25年)白寿を記念し富山県立近代美術館で白寿記念 郷倉和子展 心の調べ展開催。

2016年(平成28年)心不全にて享年101歳で逝去。
晩年の和子は足を患い活動は不自由しておりましたが、創作意欲はますます旺盛で梅と富士を描くことを日課にしていました。百歳を超え弱りゆく体力の中でも筆を握ることに喜びを覚え、心不全で急逝する間際も画室で富士を描いている途中でした。
絵を褒められた時の感動と師の教えを終生忘れなかった郷倉和子の生き方でした。