野々村仁清作品の買取について
藝品館では野々村仁清作品の買取査定を行っております。
野々村仁清の茶壷や香合、茶碗・水指など陶磁器・茶道具等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。
野々村仁清という人物
野々村仁清 (ののむらにんせい 生没年不詳)は丹波国桑田郡野々村(現在の京都府南丹市美山町)の出身で、瀬戸で轆轤の修業をし、正保4年頃(1647年)、京都の洛西・仁和寺門前に御室焼の窯を開きました。
この御室焼(おむろやき)の窯大将であった「仁清」の号は、仁和寺の仁と、本名の「清右衛門」の清とを合わせたものです。
仁清のやきものの特徴
茶陶に色絵の表現を持ち込んだのが、仁清のやきものです。
絵付は白濁色の陶器の上に絵付がなされたため、磁器に絵付がされた場合よりも発色がおだやかで、仁清独自の優美な作風がうまれました。
仁清のやきものには、同時代の他の京焼や、後世の仁清写ではみられない、白く濁った不透明のやわらかい質感の釉がかかっています。さらに仁清の色絵技術は、中国の色絵陶器にも見られない技法が採用されていることもあり、仁清の茶陶が、独自の技術を持っていたことがうかがい知れます。
御室焼は、同時代に造られていた九谷焼とは異なり茶陶であったため、実用性もまた大切な要素のひとつとでした。
仁清の茶壷
仁清の茶陶の中でも、最も仁清の作風を表すのが、茶壺であるといわれています。15世紀以降、茶壺はルソン壷(フィリピンのルソン島で使われていた黒釉のかかった壷のこと)や、日本各地の窯で造られていた渋い色の茶壺が主流でした。そのような時代に、仁清もまたルソン壷の器形を基本としましたが、さらに色絵を用いたことが特徴です。これは、伝統的な茶壺とは一線をひく、まったく新しい作風でした。また、肩衝形式の壷のようなものや、胴の四方に稜をつけたものなど、独自の器形の茶壺も生み出しました。
茶壷に用いられた胎土は、小作品をつくるときの土とは異なり、若干粗目の土が使用されました。
仁清の色絵茶壺の絵文様はバリエーションに富み、一人ではなく何人かの陶工によって描かれた意匠であるといわれています。色絵の他に、瀬戸釉の茶壺を作ることもありました。通常、仁清の茶壷の底裏には、中央左側に小判形の仁清大印が捺してあります。
仁清の香炉・香合
仁清作品の主要な注文主であった後水尾上皇を中心とした宮廷貴族のあいだでは、「香」がさかんにおこなわれていました。仁清は貴族の需要に応え、それまでなかった様々な器形の新しい香炉を次々と生み出しました。伝統的な器形に加え、雉子や獅子、魚貝、富士山などを形づくった様々な形の香炉が造られました。それらは同時代の長次郎や瀬戸、美濃、備前などの窯で模索されていた香炉に比べ、彫塑的にも洗練されかつ華やかな作振りでした。
色絵は鉄絵だけのものや、鉄絵と色絵を一緒に用いたもの、染付と鉄絵を組み合わせたものなどがあり、表情豊かに表現されています。
土は香炉・香合ともに御室土とよばれる細かい卵殻色のものが使用されました。通常、仁清の香炉には小印が捺してありますが、なかでも幕印と呼ばれる小印が捺してあるものに秀作が多いといわれています。
仁清の水指
仁清の水指もまた、保守的・伝統的な水指とは一風変わったものでした。水指に上絵付がなされただけでなく、上絵付を施すのに合う棗形の作品を多くつくりました。棗形の牡丹文や柳橋文、菊水文などの水指は、書院風の数奇屋で用いられると、とても映えます。他にも、背の高い水指に大きな管耳付の水指や、安土桃山時代から江戸初期の茶人・宗和が好んだといわれる平水指、色絵の他にも、桃山時代の織部焼を発展させた銅呈色の緑釉と白濁色の釉を掛け合わせた水指や、南蛮風の焼締め陶、銹絵の水指など、バリエーション豊かな水指を手掛けました。
なお通常、仁清の水指には茶壺で用いられるものと同じ、小判形の「仁清」大印が捺されます。小印が捺されるものは大変稀です。
仁清の茶入
瀬戸で轆轤の修業を積んだ仁清の茶入は、瀬戸風のものはもちろん、唐物写の茶入において、卓越した轆轤の技術を存分に発揮しました。仁清の唐物写の茶入には、唐物写に適した京都の土、「黒谷土」が用いられ、底から口造りまで薄く精巧に仕上げられました。
仁清は他にも、肩衝で背の高いものなど、伝統的な形とは異なる抽象性のある、独特なバランスを持った器形の茶入を好んで造りました。
通常、茶入には小印が捺されますが、その小印は同じものではなく様々な印が用いられています。
仁清の茶碗
江戸時代前期の京都では、御本茶碗の写しものを造ることが流行していました。同時に茶道が盛んであったことも伺い知れますが、御本茶碗とは高麗茶碗の一種で、朝鮮半島に日本から注文され造られた茶碗のことをいいます。仁清も自身の独自の作風を生み出しながらも高麗茶碗の影響を受けていましたが、それをさらに仁清独自ののびやかな器形に仕上げました。特筆すべき変化として仁清は和物茶碗では初めて、色絵を茶碗に持ち込みました。仁清の茶碗の多くは、窯の生業をたてるための量産品でしたが、その例外に、秀逸な特注品が造られていたといわれています。
茶碗には決まった印はなく、捺される印には数種類あります。
金閣寺として有名な鹿苑寺の鳳林和尚の日記に、御室焼や仁清の作陶した焼き物を和尚はとても愛玩していたようで、度々登場します。鹿苑寺には銹絵寒山拾得図茶碗があり、非常に簡素で白地に鉄絵で人物が描かれていますが非常に愛らしいものです。この茶碗が日記に登場する茶碗だと思われます。