茶壷の買取について

藝品館では茶壷買取査定を行っております。
茶壷の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。
経験豊富なスタッフや茶道具の専門家が責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

茶壷とは

茶壷は茶道に使う抹茶を引く前の碾茶を貯蔵するための陶器製の壺です。
碾茶は茶葉を蒸して醗酵を促す酵素の働きを止めた後、揉まずに乾燥させたもので湿気を嫌います。そのため通気性があり、適度に湿気を吸う陶器製の壺が保存に適していました。
茶壷は大きいものだと50cmくらいありますが、大抵は30cmくらいの大きさで、肩の部分に4乃至6つの耳と呼ばれる飾りが付いています。もともと茶壷は中国や東南アジアでさまざまな物資の運搬用に使われていた容器です。耳と呼ばれる飾りには孔が空いており、そこに紐を通し固定して運搬していました。
また防水のため表面には釉薬が施され艶やかに輝いて見えます。これらの釉薬を用いた壺は今の中国の広東省地域を中心に盛んに焼かれ、海洋貿易で遠くはフィリピンまで運ばれていました。

鎌倉時代に留学僧が大陸から喫茶の習慣を持ち込むと、茶と共にこの茶壷ももたらされました。
当時の日本の陶磁器と言えば須恵器を呼ばれる素焼きが中心で、表面が艶やかな茶壷は大変珍しい物でした。
当時の日本には器全体を施釉する技術は無かったため、鎌倉から室町時代にかけ唐物の茶壷が多く輸入され、鑑賞目的で使われるようになります。日本でもこの時代に信楽や備前、丹波、瀬戸などで茶壷の模倣品が作られ始めます。

桃山時代に武士階級の間で茶の湯が盛んになると、織田信長や豊臣秀吉がフィリピンから輸入された「呂宋(ルソン)壺」と呼ばれる茶壷を書院飾りで使うようになります。
そのため大名の間で呂宋壺が人気を博し、最高級品として大変珍重されました。この呂宋壺で巨万の富を得たのが太閤記に登場する貿易商・呂宋助左衛門です。
最高級品とされた呂宋壺を豊臣秀吉に献上して大喜びされ、その知遇を得て海洋貿易で財を成し贅を尽くした生活を送りました。ところが石田三成らの反感を買い、身の危険を察して国外に脱出します。一説では秀吉に献上した呂宋壺が、仕入先のルソン島では便器にも使われる生活雑器だったことを秀吉に知られたのが原因だったともいわれています。
フィリピンでは二束三文の品が、日本では千金で売り買いされたのですから呂宋助左衛門が巨万の富を得られたのは当然でしょう。

その後、朝鮮出兵などで朝鮮陶工が日本の陶芸技術向上に貢献するようになると、国内でも高品位な茶壷が作られるようになり、江戸時代初期には純和風の茶壷も登場します。
この時代に作られた茶壷で有名なのは野々村仁清によって作られた色絵藤花図茶壺でしょう。この茶壷は国宝にも指定され、ゆったりした造形の茶壷に白釉が施され、咲き誇る藤の花々が大和絵で優雅に色絵付けされています。単に防水のために施釉されるだけで本来生活雑器であった茶壷が、日本では芸術品として昇華した瞬間と言えるでしょう。
野々村仁清は他にも華麗な色絵付けをした数々の茶壷を世に残しています。

以後日本では室礼用の調度品として本来の目的を離れ、唐物、国産物を問わず愛用され続けます。
現在でも茶道では新茶の頃に茶壷に好みの茶を入れて封をし、10月の開炉の際に開封するのが習わしとなっているので非常に重要な茶道具です。特に江戸時代以前に作られた茶壷は骨董的な価値が高いため人気も高く、釉薬のかかり具合で豊かな景色を作り上げているものであれば鑑賞用として高値で取引されます。

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