金森宗和の茶道具買取について
藝品館では金森宗和作品の茶道具の買取査定を行っております。
金森宗和の書・掛軸、織部好みの茶器・茶道具などの売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。
経験豊富なスタッフや茶道具の専門家が責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。
他の作家作品の茶道具の買取も行っております。
金森宗和という人物
金森宗和/重近は(かなもりそうわ/しげちか 1584~1656年)は江戸時代初期に活躍した茶人です。
重近は、飛騨高山藩主であった金森可重の嫡男として飛騨高山の地に生まれました。しかし、慶長19年(1614年)の大阪冬の陣の際に父から勘当され、京都へと移ることになりました。
その後、千道安に茶の湯を学び、特に小堀遠州や古田織部を継承して茶の湯における指導的立場となり、公家との関係を深めました。
宗和は華やかで優美な茶の湯を展開し、京焼の発展にも寄与しました。特に陶工であり、京都仁和寺前で御室焼窯を開いた野々村仁清は、彼の指導を受けた人物でもあります。二人の関係は深く、御室焼の新作が出た際は、積極的に茶会で用いるなど仁清の御室焼を普及させます。仁清の活躍は、後に登場する仁清の弟子・尾形乾山なども準備することになりました。
こうした宗和の活躍は、宗和流の茶道を確立しただけでなく、茶道で用いられる初期京焼の確立にも影響与えることとなりました。
金森宗和と京焼
京焼は、桃山時代頃からの茶の湯の流行を背景に江戸時代初期に京都で広がった焼き物のことです。特に洛中の窯では、低火度焼成による軟質施釉陶器などが特徴です。宗和はその中で、仁清と共に彼の好みの茶器を制作し、「御室焼」を茶会で多く取り入れました。御室焼は、瀟洒で洗練された特徴を示しています。
高津古文化会館蔵の褐釉撫四方茶入は、細長い形の陶器にあえて地肌を露呈させて飴釉を施しています。茶器の土臭さが消え、上品な雰囲気を与えています。
また、銹絵水仙文茶碗は、宗和の母の菩提寺である天寧寺に寄進された作品です。白釉を施した陶器に一枝の水仙が描かれています。花の部分の釉薬を盛り上げるなど細かな意匠を施しています。