飛来一閑の茶道具買取について

藝品館では飛来一閑作品の茶道具の買取査定を行っております。
飛来一閑の棗・香合など一閑張茶道具の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。
経験豊富なスタッフや茶道具の専門家が責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

他の作家作品の茶道具の買取も行っております。

飛来一閑とは

飛来一閑(ひきいっかん/ひらいいっかん)は、千家十職の一閑張細工師です。
一閑張とは、木地や竹で編んだ籠に和紙を張ったり、もしくは和紙だけを何枚も張り重ねて形を作り、その上に漆を塗って仕上げた道具や器のことをいいます。
この技法は、古くは仏像に、近世には刀筒や矢筒、陣笠といった武具、紙縒こよりを使った道具に用いられており、古くからあるものでした。しかし、この紙と漆を使った技法に「一閑張」という名前がついたのは、初代一閑がこの技法で茶道具を作るようになってからのことです。

飛来一閑は、一閑張の棗や、菓子器、香合や炭斗、莨盆などの茶道具や、露地草履や露地笠、竹皮製の円座といった露地の腰掛待合で使う道具、そして茶筅、茶巾、羽箒などの幅広い道具の制作にあたってきました。

飛来一閑の始まり

初代飛来一閑は中国浙江省杭州の出身でした。日本の戦国時代末期、初代一閑は明末清初の動乱を逃れ、来日しました。
故国では、日本の禅宗と縁が深かった臨済宗の霊隠寺に帰依していたこともあり、大徳寺の清巌和尚を頼って来日します。そしてこのときから、故郷の名山にちなんで飛来姓を名乗るようになりました。

一閑は、清巌和尚をとおして千利休の孫である元伯宗旦に出会います。そしてこれをきっかけに、侘び茶の世界に目覚めました。一閑は、木地や和紙、漆を使って手作りの茶道具を作り、茶を楽しみました。一閑は、宗旦より「飯後軒」の号を与えられます。
これは、飛来一閑が茶事を催すときが常に懐石なしの「飯後のご入来」と案内したことに由来しています。

飛来一閑 歴代

初代 飛来一閑
生年不明~明歴3年(1657)
二代 飛来一閑
生年不明~天和3年(1683)
三代 飛来一閑
生年不明~正徳5年(1715)
四代 飛来一閑
生年不明~享保18年(1733)
五代 飛来一閑
生年不明~寛保元年(1741)
六代 飛来一閑
生年不明~延享3年(1746)
七代 飛来一閑
生年不明~寛延3年(1750)
八代 飛来一閑
生年不明~宝暦3年(1753)
九代 飛来一閑
生年不明~天明8年(1788)
十代 飛来一閑
宝暦7年~文政13年(1757-1830)
十一代 飛来一閑
寛政3年~明治5年(1791-1872)
十二代 飛来一閑
文政5年~明治30年(1822-1897)
十三代 飛来一閑
安政6年~大正2年(1859-1913)
十四代 飛来一閑
明治27年~昭和52年(1894-1977)
十五代 飛来一閑
大正13年~昭和56年(1924-1981)
十六代 飛来一閑
昭和38年~(1963-)