青木夙夜作品の買取について

藝品館では青木夙夜作品の買取査定を行っております。
青木夙夜の日本画・絵画掛軸屏風等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

青木夙夜という人物

青木夙夜 (あおきしゅくや ?-1802) は青木夙夜は江戸時代中期から後期に活躍した京都の文人画家です。
名は俊明・姓は余といい、韓国百済余璋王の子孫と名乗っていました。
書画の鑑定に明るく、沢山の書画作品に題跋や讃文、箱書などを残しています。夙夜自身も山水画をはじめとした文人画を多く描きました。

画は池大雅に学び、師であった池大雅とその妻・玉瀾が没したあと夙夜は大雅堂を建立し堂内に住みます。しかしほとんど外出しなかったと伝えられています。
大雅堂は京都市東山区にある京都円山公園の近くにあり、現在は石碑が建てられ当時の文人たちの息遣いを感じさせる観光名所となっています。1800年(寛政12年)には師である大雅25回忌を主催します。
また自身の画業とは別に大雅の作品の鑑定、及び模写も行なっていました。祇園社の絵馬の下絵でもある宝暦4年の池大雅筆の蘭亭修禊図では、草稿にして実に希世の物也と記しています。
夙夜の模写作品でも制作年代の早いものには師への気負うところもあったのでしょう、筆致がかたいものも多く見受けられます。晩年には三重県に移住し伊勢松坂で亡くなります。おそらく従兄弟の韓天寿を頼ってのことと思われます。

池大雅から青木夙夜へ渡った李珩の腕底煙霞帖は、さらに浦上玉堂の手に渡りましたが、これにより中国画に強い感銘を受けた玉堂が制作したことで著名な文人画作品である煙霞帖からは中国絵画の日本への影響力が見て取れます。このことは春琴の睡菴清秘録にもありますが、これらの経緯を見れば当時の文人達には積極的な深い交流があり、また夙夜が良き師にも恵まれなお、当時の垂涎の中国作品を鑑賞できる環境にあった画家と言えるでしょう。