ラリックの買取について

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ルネ・ラリックは19世紀から20世紀中にかけてフランスで活躍したガラス工芸作家、装飾美術家です。
一般的にオパルセントガラスと呼ばれる乳白色のガラスに、女性や動植物など立体的で繊細な彫刻を施した作品で知られ、彼のガラスの作品は日本をはじめ世界中で熱心なコレクターが多く存在します。しかしラリックがガラス作品を作り始めたのは50歳近くになってからで、彼の前半生は繊細で優雅な金細工で名を馳せた宝飾デザイナーでした。

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ラリックとは

ラリックは1860年、フランスのシャンパーニュ地方で生まれ、その後パリ移り成長します。
1876年、パリ装飾美術学校に入学し、王侯貴族ご用達の金細工師・ルイ・オーコックに弟子入りします。1882年頃からフリーの宝飾デザイナーとして活動をはじめ、1885年にはパリのヴァンドーム広場にアトリエを開設しました。
当時のフランスで流行していたアール・ヌーヴォー様式を作品に巧みに採り入れ、女性や自然をモチーフに息を飲むほど繊細に表現した彼の作品は一躍評判を呼びます。有名女優のサラ・ベルナールもラリックの顧客となり、宝飾店のカルティエなどにもデザインを提供するほどの人気デザイナーとなります。

宝飾デザイナーとして彼の作品を特徴付けるのが、エナメル装飾技法の一つで透胎七宝と呼ばれるプリカジュールです。
通常のエナメル彩は金属の面にガラス釉を施しますが、プリカジュールは金糸や銀糸で囲んだ空間にガラス釉を薄い膜として固定するため光を透過し、宝石のような透明感と輝きを生み出します。しかも宝石と違い色彩は自由です。
このプリカジュールの習得は非常に難しく、現在でもこの技術を駆使できる職人はほとんどいません。

1889年、ラリックはたプリカジュールを用いた宝飾作品をパリ万博に出品し好評を博し、1897年委はレジオン・ド・ヌール勲章を受章。1900年のパリ万博でもラリックの宝飾作品は大評判になり、彼のブースには連日人々が押しかけました。
さらに香水商のフランソア=コティとの出会いから香水瓶のデザインも手掛けます。このようにラリックの宝飾デザイナーとして歩みは順風満帆のように見えました。
しかし世の中の工業化が進み人々の服装が動きやすくシンプルな装いになると、デコラティブなラリックの宝飾品は瞬く間に凋落します。これに危機感を抱いたラリックは宝飾の道を捨て、香水瓶で培ったガラス工芸の分野に舵を切ります。

1922年、アルザス地方に彼のガラス工場が完成しラリック社として本格的な活動を開始。この頃欧米では工業的な幾何学的なデザインや古代のエジプト美術、東洋趣味などが融合したアール・デコという美術様式が流行していました。
ラリックもガラス作品にアール・デコ様式を採り入れ、1925年にパリ現代装飾美術・産業美術展に参加。大好評を博し、彼のガラス作品は豪華客船やオリエント急行、名だたるホテルやレストランなどの調度品に採用され、再び装飾美術家としての地位を回復しました。日本でも旧皇族の朝香宮邸(現在の東京都庭園美術館)のシャンデリアなどを手掛けています。
しかし1939年、第二次世界大戦が勃発すると工場の操業は停止。1945年、第二次世界大戦の終了を待たずに85歳でこの世を去ります。

ラリック社は彼の息子マルク・ラリックが引き継ぎ、1994年まで同社はラリックの血縁で運営されていました。しかしその後ポルシェ・グループの傘下に入り、同族経営は終了。
現在は香水瓶やオパルセントガラスのオブジェを中心に生産するブランドとしてその命脈を保っています