大田垣蓮月作品の買取について
藝品館では大田垣蓮月作品の買取査定を行っております。
大田垣蓮月の茶碗や急須などの煎茶道具・陶磁器、書画掛軸・短冊等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。
大田垣蓮月という人物
大田垣蓮月 (おおたがきれんげつ 1791-1875) は江戸時代後期京都出身の尼僧であり歌人、そして陶芸家です。
蓮月は伊賀上野(三重県)の家老・藤堂新七郎の実子として京都に生まれますが、生まれてすぐに知恩院の坊官・大田垣光古の養子となります。
俗名は誠(のぶ)と言い、幼い頃は但馬の亀山城に奉公し、17歳で大田垣家の養子望古と結婚しました。3人の子宝に恵まれましたが幼くしてどの子も亡くなり、遂には夫の望古も誠が25歳の時に亡くなってしまいました。
望古の死から4年後に大田垣家の養子となった彦根藩士である古川重二郎改め古肥と再婚します。2人の間には1人の女の子が生まれましたが、結婚してわずか4年で古肥も死別します。古肥の死後、誠は仏門に入ることを決め、二十歳代で剃髪し出家し尼となり法名を蓮月と号しました。
出家した蓮月は共に出家した養父光古、法名・西心と娘と一緒に知恩院で生活をしますが、数年の内に娘と西心は亡くなってしまいます。養父の死から知恩院を去った蓮月は住居を転々としたことから、「宿越し蓮月」と呼ばれるほどの引越し好きでした。
岡崎に移ってから陶芸で生計を立てていた蓮月でしたが、自身の和歌を彫った自作の手捻り風の味のある焼き物が人気となり「蓮月焼」と呼ばれ京で人気のお土産となります。
京都で著名な最後の文人と言われている富岡鉄斎も知人を介して蓮月と出会い、蓮月の家に同居し連月との共作の煎茶道具や焼き物の作品も多く残しました。
歌集も出しており、作品には蓮月高畠式部二女和歌集や海人の刈藻があります。
また書や和歌も多く残し、和歌は桂園風が京洛の地で一世風靡していた真っ最中であり桂園派の特色を濃く感じさせますが、あくまで連月独自のものであり、短冊に書かれた丸みを帯びつつも凛とした緊張感のある筆使いの美しい書体は、聡明ですこぶる素直で清らかな女性であったとされる蓮月の人柄を感じさせるものであり、現在に至っても人気を博しており京都の代表的古美術品として珍重されています。