飯塚琅玕斎作品の買取について

藝品館では飯塚琅玕斎作品の買取査定を行っております。
飯塚琅玕斎の竹籠や花入等の煎茶道具茶道具などの売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

飯塚琅玕斎という人物

飯塚琅玕斎 (いいづかろうかんさい 1890-1958) は栃木県栃木町(現在の栃木市)出身の日本の工芸史に名を刻む竹工芸家です。その生涯を通じて竹工芸の新たな可能性を追求し続け、その領域を画期的に拡大させた存在として知られています。
彼の作品や活動は、工芸品が単なる実用品ではなく、真の芸術作品としての価値を持つことを示すものとして、多くの人々に評価されています。近年は煎茶や中国美術からの熱視線により、アジア諸国でも大変人気がある作家です。

飯塚琅玕斎は栃木県に生まれ、本名を弥之助といいます。彼は初代鳳斎の六男として、早くから竹工芸の技術や感性を継承し、それをさらに進化させるべく独自の道を歩み始めました。彼の作品は、一般的な竹工芸品とは一線を画すものであり、その独特の美学や哲学が注ぎ込まれていました。
琅玕斎は、作品に「真行草」の三態の概念を導入しました。これは、中国の書道における筆記様式の概念から取り入れたもので、彼の竹工芸品にもその哲学が色濃く反映されています。特に彼の作品に施される「銘」は、自然の事物や事象との相互作用を示唆するものであり、それが彼の作品を一層魅力的にしています。竹の表面に非常に薄く、そして繊細に銘が入れられています。

飯塚琅玕斎のもう一つの偉業は、竹工芸を芸術の一分野として確立させたことです。これまでの竹工芸は、実用的な側面が強調されることが多かったが、琅玕斎はその美的価値を追求し、竹工芸品を高い芸術性を持つ作品として捉えるようになりました。
彼の活動の幅は、竹工芸だけに留まりませんでした。松田権六や板谷波山などの他分野の工芸家や文人墨客との交流も深く、彼らからの影響を受けながら、書や絵画、俳句などの芸術にも深い造詣を持っていました。
昭和33年、68歳で亡くなった飯塚琅玕斎ですが、彼の遺した作品や思想は、現代の工芸家たちにも多大な影響を及ぼしています。彼の竹工芸は今もなお多くの人々に愛され、その価値が再評価されています。