銀瓶の買取について

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煎茶道具の中には高価な銀で作られる銀瓶があります。銀は化学変化に強く金属臭が水に移らないため、銀瓶で焚いた湯は水本来の味を楽しめます。そのためお茶の味を楽しむ煎茶道で使われます。

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銀瓶とは

もともと日本で茶の湯が盛んになるのは、鎌倉時代に中国に渡り修行した禅僧が眠気覚ましに茶を持ち帰ったのが由来です。茶は覚醒作用があるカフェインが含まれています。茶を粉末にした抹茶を飲むと、禅の厳しい修行や瞑想中に眠らない効果がありました。
これが禅を好む武家や貴族階級に受け入れられ、やがて千利休により茶道が確立します。

一方で、日本の煎茶道は江戸時代に中国の禅僧で黄檗宗を開いた隠元隆琦が開祖であると言われています。
日本で抹茶が広がっていた頃、中国では既に抹茶は廃れ唐代の文人で茶聖と称される陸羽が提唱した喫茶法が庶民に流行していました。茶は元来薬のため、その飲み方も面倒でした。しかし陸羽が唱えた喫茶法は茶葉を煮てそのエキスを水に移すだけなので簡単に淹れられ、しかも薬効もあります。
そして陸羽は茶葉以外に水や器に拘りをみせ、茶経にまとめました。これが後代煎茶道として中国の文人等が整備し、隠元隆琦と共に日本にももたらされます。

黄檗宗が皇族や武家に受け入れられると、それと共に煎茶の喫茶も広がります。
江戸時代中期には知識人や庶民も茶道よりも簡単な煎茶を嗜むようになりました。抹茶に比べると薄味なので水の味がよく分かり、煎茶を嗜む知識人は水の味も云々しはじめます。

煎茶では湯を沸かす時に、水の味を保つためボーフラと呼ばれる土瓶を用います。
江戸時代中期はと大衆文化が栄え、装飾品などの工芸品の製作も盛んになります。江戸、大阪、京都には貨幣鋳造のために「銀座」が設けられ、金工職人が各地から集められました。彼らの中から銀を使って装飾品を製作する者が現れ、大名や豪商に売り歩きました。
世界遺産の石見銀山で知られるように日本は昔から銀の産出が多く、貴族階級は銀製の食器などを用いていました。また銀は金と同様に錆びにくく金属臭が移らないことは経験上知られていたので、銀製のボーフラは煎茶道を嗜む上流階級の人々に大変喜ばれました。

これが東京、大阪、京都で銀瓶が作られる下地となり、現在まで続いています。特に東京の銀製品は国の伝統的工芸品にも指定され、銀瓶はその代表的な工芸品です。

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