中川浄益の茶道具買取について

藝品館では中川浄益(中川淨益)作品の茶道具の買取査定を行っております。
中川浄益の薬缶・湯沸・蓋置など金物茶道具、銀瓶鉄瓶の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。
経験豊富なスタッフや茶道具の専門家が責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

他の作家作品の茶道具の買取も行っております。

中川浄益とは

中川浄益(なかがわじょうえき)は、千家十職の金物を作る職家です。
大西清右衛門が担当する茶釜もまた、金属工芸ではありますが、中川浄益は主に銅合金を用いた金属工芸を担当しました。中川浄益は、唐銅、胡銅こどう砂張さはり毛織もうるで作られた手前道具、水屋道具を作りました。

中川浄益のはじまり

中川家は越後国高田郡佐味郷(現在の新潟県上越市)の家系で、代々甲冑や鎧などの武具の制作をしていました。
初代・中川紹益は天正年間(1573-92)に京都に上京し、千利休に遇され茶の湯道具を作り始めました。天正15年(1587)、豊臣秀吉が北野大茶湯を主催することになり、この大茶会で用いる薬鑵やかん(薬缶)の制作を、千利休は初代・中川紹益に依頼したのです。
こうして完成した初代紹益の薬鑵は、利休形腰黒薬鑵として継承されることになりました。

なお中川浄益は、千家十職の中でも千家との付き合いが最も古い職家です。

茶の湯で用いられる金属工芸品は、もともと仏具に用いられた花入、香炉、香合、燭台、銅鑼などを原型としています。中でも銅器は、格式のある厳かな道具として、もともと真行草のなかでは真の道具に定められていました。
しかし、草の茶を志し、侘び茶をつくり上げた千利休は、真の道具の読みかえを行いました。本来、金属製の水差しや花入を用いるところを、木地や竹製のものを用いたのです。そのような流れの中で、金物師・中川家初代との付き合いが始まったのです。

中川浄益歴代

初代 中川紹益
紹高 永禄2年~元和8年(1559-1622)
二代 中川浄益
重高 文禄2年~寛文10年(1593-1670)
三代 中川浄益
重房 正保3年~享保3年(1646-1718)
四代 中川浄益
重忠 万治元年~宝暦11年(1658-1761)
五代 中川浄益
頼重 享保9年~寛政3年(1724-1791)
六代 中川浄益
頼方 明和3年~天保4年(1766-1833)
七代 中川浄益
頼実 寛政8年~安政6年(1796-1859)
八代 中川浄益
紹興 文政13年~明治10年(1830-1877)
九代 中川浄益
紹芳 寛永2年~明治44年(1849-1911)
十代 中川浄益
紹心 明治13年~昭和15年(1880-1940)
十一代 中川浄益
紹真 大正9年~平成20年(1920-2008)

中川浄益作品の買取実績

中川浄益作品の買取をさせていただきました事例より、一部ご紹介させていただきます。

中川浄益作品の買取実績一覧

※茶道具は骨董品・古美術品である性質上、全くの同一作品というものはなく、真贋はもちろんのこと状態や出来、その時折々の人気など様々な要素によって価値・価格は変化します。

また、それらの要素を豊富な経験や実績、昨今のデータと照らし合わせて、お客様のお茶道具一つ一つを適切に買取査定するのが私どもの役目でもあります。
買取事例の一つとして、あくまで参考価格とお捉えください。