狩野永徳作品の買取について

藝品館では狩野永徳作品の買取査定を行っております。
狩野永徳の日本画・絵画掛軸屏風等の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

狩野永徳という人物

狩野永徳 (かのうえいとく 1543-1590) は安土桃山時代に活躍した狩野派の京都生まれの画家で、狩野派の祖である狩野元信の孫にあたります。

永徳は時の権力者であった織田信長、豊臣秀吉に絵師として仕えました。そこで安土城、大坂城、聚楽第など彼らの権勢を示す建築において障壁画の制作を担当します。
祖父の元信以来、狩野派が得意としてきた装飾的方向を永徳がさらに発展させ、雄大な構図と鮮やかな色彩を用いて、安土桃山時代の豪華絢爛な城郭建築に相応しい絵画の様式を確立しました。永徳によって確立されたこの様式を「桃山様式」と呼びます。
永徳は洛中洛外図屏風唐獅子図屏風などこの時代を代表する優れた作品を遺し、当時の狩野派の勢力と実力を現在に伝えています。

狩野永徳の洛中洛外図屏風

洛中洛外図屏風とは、京の市中である「洛中」とその周辺地域である「洛外」の様子を描いた屏風図のことで、16世紀初めから江戸時代にかけて多く作成されました。
そこには当時の京都の街の様子や人々の風俗が詳細に描かれていることから、美術品としてばかりでなく歴史資料としても重要な作品となっています。

その中でも狩野永徳が描いたとされる洛中洛外図屏風は有名で、1995年に国宝に指定されています。
これは米沢藩上杉家に代々伝承されてきたもので、「上杉本」と呼ばれています。上杉家の手に渡った経緯は室町幕府第13代将軍・足利義輝の時代までさかのぼります。
すでに戦国時代に入っていた当時、将軍義輝は越後で大きな勢力を有する上杉謙信に対して、上洛して将軍を補佐する管領に就任して欲しいとラブコールを送っていました。そのために謙信への贈り物として義輝が狩野永徳に描かせたのがこの洛中洛外図屏風でした。
しかし、完成直前にして義輝が死亡したため永徳がそのまま手元に置いていました。その後、織田信長が上洛すると、永徳は信長に接近します。洛中洛外図屏風のことを知った信長は上杉謙信との同盟を企てて、これを上杉謙信に贈りました。
こうして洛中洛外図屏風は上杉家で代々受け継がれ、現在は米沢市上杉博物館に所蔵されています。