千利休の茶道具買取について

藝品館では千利休作品の茶道具の買取査定を行っております。
千利休の書・掛軸、利休好みの茶杓・花入など茶道具の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。
経験豊富なスタッフや茶道具の専門家が責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

他の作家作品の茶道具の買取も行っております。

千利休とは

侘び茶を完成させた天才的茶人千利休

千利休(せんのりきゅう 1522-1591)は東山時代以来の茶の湯の伝統を総合し、これを揮然たる生活芸術ないし「美の宗教」としての茶道にまで完成しました。偉大な芸術的天才と言えましょう。
千利休は、大阪・堺の納屋衆、千与平衛の子として1522年(大永2年)と生まれ、名を与兵衛と称しました。17歳のころ武野紹鴎の知人である、北向道陳から茶道の手ほどきを受け、利休を名乗ります。
利久の転機となるのは、今井宗久や津田宗久と共に、織田信長の茶頭(さとう)となったことです。信長は利休の鑑識眼を高く評価したと言います。

そして天下人豊臣秀吉の茶頭時代です。
この時代に利休は、侘び茶を随所に示すこととなります。そして享年70歳、茶道における意見対立によって、豊臣秀吉に死罪にされたのです。

茶の湯とその時代

千利休の生きた時代、つまり戦国時代においては天下人達は茶の湯を自ら楽しむわけでなく、織田信長は政治や家臣たちの人心掌握の手段に用い、さらに豊臣秀吉は茶の湯の催事を多く行いました。
二人の為政者の茶頭として仕えてきました千利休でしたが、茶の湯「侘び茶」を完成、多くの茶道具の開発にも努めました。
江戸時代になりますと、千利休の弟子たちが、利休の教えを受け継いで、独自の境地を深めていきます。そして利休の教えが、庶民まで広がっていくのです。

千利休が愛したおもな茶道具

千利休を通して、利休の愛した茶道具の名品の数々を紹介します。

茶壺
利休愛蔵の唐物茶壺「橋立」
香炉
塩笥形共蓋の井戸香炉「比世」
水指
「真塗手桶水指」
茶入
唐物尻膨「利休尻膨」 唐物鶴首「利休鶴首」
花入
「顔回」 京都桂川の魚師の魚籠を見てひらめいた有名な花入れ「桂籠」 黄瀬戸立鼓「旅枕」竹一重切「園城寺」
茶杓
「ゆがみ」「泪」
「東陽坊釜」
茶碗
楽家初代・長次郎作黒楽茶碗「雁取」赤楽茶碗「太郎坊」 高麗茶碗の名品斗斗屋「利休ととや」