楽焼・楽茶碗の買取について

藝品館では楽焼(樂焼)の買取査定を行っております。
楽長次郎(樂長次郎)・楽吉左衛門(樂吉左衞門)の楽茶碗など楽焼・茶道具の売却や鑑定をお考えの際は、是非お気軽に当館へご相談ください。
経験豊富なスタッフや茶道具の専門家が責任ある評価・査定を行い、現在の流通価格に沿った適切な買取価格をご提示いたします。

他の作家作品の茶道具の買取も行っております。

楽家とは/楽焼のはじまり

楽家は桃山時代から続く千家十職の茶碗師の家系です。
初代・長次郎は、天正年間中期(1573~92)より、千利休より依頼を受け茶碗をつくるようになりました。楽長次郎は、あめやという中国から渡ってきた陶工・瓦師の子でした。あめやは、中国の素三彩陶の技術を持っていたともいわれています。

楽焼の特徴

利休が侘び茶の心に適しているとした長次郎の茶碗とは、どのような茶碗であったのでしょうか。
楽茶碗を代表する茶碗が、黒茶碗赤茶碗です。楽黒茶碗以外にも、中国南宋時代の曜変天目や瀬戸黒茶碗で黒茶碗がつくられています。
それでは初代・長次郎がつくった特徴的な黒茶碗とは、どのような茶碗だったのでしょうか。長次郎の黒茶碗は、作り手の自我を感じさせない、からっぽでありながらなにかによって満ち、飽和しているような、佇まいがあります。どこか、太古の記憶に通じているかのような雰囲気のある黒茶碗です。そして赤さびのような土の色をした楽赤茶碗もまた、色は異なるものの楽黒茶碗と同じ方向性・佇まいのある茶碗です。

楽茶碗の制作手法

そうした楽茶碗の独特な佇まいは、独自の制作方法によって生み出されます。
初代・長次郎は、「手捏ねてづくね」という手法(轆轤ろくろを使わずに手だけを使って形をつくる手法)で茶碗の形をつくり、これを削り、屋内に設えた小さな窯で一碗ずつ焼きました。
「手捏ね」は手びねりともいわれ、やきものではもっとも原初的な手法ですが、量産のため桃山時代には轆轤成形が主流でした。しかし長次郎は、手の形や力、その柔らかさと硬さが如実に反映される手捏ねを選び制作にあたりました。
当代の楽吉左衛門にも伝わるその手法は、円形に厚くのばした土を、外から徐々に締め上げるようにして茶碗の形を立ち上げる方法です。このときの内側へと込められる力が、楽茶碗の内側を、おおらかに包みこむような空間を生み出します。成形の後は、ひとへらひとへら時間をかけて削ります。削りの後、茶碗は素焼きされ、釉薬が掛けられ焼成されます。楽焼の基本である黒と赤の釉薬を用います。黒楽の釉薬は、先代が集めた加茂川の石を石臼で砕き、薬研やげん で細かく粉状にして使用しています。

そのように完成された楽茶碗は、手捏ねのおおらかさと、研ぎ澄まされた削りによる潔さが表れた茶碗です。

「楽」とは

楽茶碗の「楽」とは、長次郎が豊臣秀吉より「楽(樂)」の字を賜ったことに起源があるといわれています。
また、秀吉の豪華な邸宅「聚楽第」の一角に、利休は屋敷を持ち、利休を通して長次郎の茶碗は日の目をあびました。「楽」には、「聚楽第の茶碗」の意があったのです。
この「楽」が楽家の正式な姓となったのは、明治になり戸籍法が制定されてからのことです。また、楽茶碗の箱書付の署名が「楽」姓に統一されたのも、1770年に吉左衛門を襲名した、九代了入の時代からでした。
それ以前の楽茶碗には、「楽」、もしくは「田中」という箱書付がみられます。「田中」とは、長次郎が天正17年(1589)に没した後、二代目となった田中常慶たなかじょうけいに始まりがあります。常慶は、長次郎とともに窯を営んでいた田中宗慶たなかそうけいの子でした。

楽家歴代

初代
長次郎ちょうじろう 生年不詳-天正17年(1589)
二代 楽吉左衛門
常慶じょうけい 生年不詳-寛永12年(1635)
三代 楽吉左衛門
道入どうにゅう 慶長4年(1599)-明暦2年(1656)
四代 楽吉左衛門
一入いちにゅう 寛永17年(1640)-元禄9年(1696)
五代 楽吉左衛門
宗入そうにゅう 寛文4年(1664)-亨保元年(1716)
六代 楽吉左衛門
左入さにゅう 貞亨2年(1685)-元文4年(1739)
七代 楽吉左衛門
長入ちょうにゅう 正徳4年(1714)-明和7年(1770)
八代 楽吉左衛門
得入とくにゅう 延享2年(1745)-安永3年(1774)
九代 楽吉左衛門
了入りょうにゅう 宝暦6年(1756)-天保5年(1834)
十代 楽吉左衛門
旦入たんにゅう 寛政7年(1795)-安政元年(1854)
十一代 楽吉左衛門
慶入けいにゅう 文化14年(1817)-明治35年(1902)
十二代 楽吉左衛門
弘入こうにゅう 安政4年(1857)-昭和7年(1932)
十三代 楽吉左衛門
惺入せいにゅう 明治20年(1887)-昭和19年(1944)
十四代 楽吉左衛門
覚入かくにゅう 大正7年(1918)-昭和55(1980)
十五代 楽吉左衛門
昭和24年(1949-)